永瀬さんは、現在の岡山県赤磐市松木で暮らし始めた頃、山の木を切って薪を作って、かまどでご飯を炊いていた時期がありました。世帯場すなわち台所には、まだ電燈がついていなかったので、ゆれる焰、薪のはじける音などを感じながらご飯を炊いていたのだと思います。のちに永瀬さんは、「何だか原始的な焰の美しさが私にはうれしくて、あとで電燈をつけて貰えた時、動かぬ平凡な光に逆にがっかりした」(『すぎ去ればすべてなつかしい日々』)と当時を振り返っています。焰を見つめていた時間は、小さいながらも確かな喜びの時間だったのではないでしょうか。<文・白根直子>