#15「歓呼の波」

永瀬清子の世界

08-07-2024 • 4分

昭和十二年、1937年。この年のことを、永瀬さんは自筆の年譜に書いています。「二月、次女奈緒生まれる。三月、父歿(ぼつ)、六月、舅歿、七月、支那事変はじまり夫の応召(おうしょう)、東京駅は兵隊と歓送者とで身動きもできぬほどであった。夫は岡山四十八聯隊へ入隊。秋、夫は中国へ出征した。夫は保定の激戦の直前、肺浸潤のため後退し、危うく全滅をまぬかれた」永瀬さんにとって激動の一年となった昭和十二年。産後間もなく実の父と義理の父を相次いで亡くし、夫の出征を見送った永瀬さん。当時の思いを1988年、RSKの番組で語っています。「みんなの歓呼の中を出て行きまして、こんなにみんなの歓呼で送り出すのは間違っているのではと一人苦に思いましたけど思うようにできなかった」「歓呼の波」には、永瀬さんの胸を締め付けられるような思いが込められています。<文 小林章子>