「原っぱと遊園地」、建築家・青木淳さんの書籍から3つのキーワードで話を展開していく2話目。
1.解脱して初めて出会える原っぱ
青木淳さんは書籍の中で、原っぱとは「宅地として完成する一歩手前で、その意図が見えなくなってしまった空間である。」
と語られています。ドラえもんに出てくる、土管がある原っぱ。
「遊園地」的に予め決められた遊び方や楽しみ、目的が設定されているのではなく、ともかくそこへ行って、何をするか、どんな楽しみ方をするかを決められる特別な場所。
そんな原っぱになるためには、既存のルールが背後に消えてしまう=オーバードライブが必要だと仰ります。(学校が廃校となり、学校というルール・形が消えて、美術館として利用されるように)
対話の中では、「オーバードライブ」のキーワードを起点に、アニメ「スラムダンク」の安西先生が、ホワイトヘアード・デビル(白髪鬼)からホワイトヘアード・ブッダ(白髪仏)となったことは、ある種の「オーバードライブ」かも、などの話へ展開しました。
2.目的を手放すことで踏み入れる別の世界 -目的地を「未目的」な状態に差し戻す
「住宅・住まいはかつては目的空間の集合体ではなかった」という青木淳さんの指摘。
設計者側が住宅の各部屋・機能の目的を「お節介に」設計するのではなく、住む人たちが使いながら、自分たちの住まいを創っていく。
そこから、フロー状態や、私(粟野)の10数年前の勘違いをしていた恥ずかしい思い出へ飛び火。
3.建築にする。自分にする。
「マルタン・マルジェラとイッセイ・ミヤケの服作りの違い」から。
・とにかく形式の外に出ようとするのか
・形式の中にしかいれないと理解しつつ外を目指すか。
建築や服作りを、「自分」に置き換えて考えたり、仏師(ぶっし)の「その木の中にいる仏を掘り出すだけ」という言葉へ繋がったりしました。
次回、3回目のこぼれ話の放送は、「原っぱ」的な人と人の関係性や過ごし方などを筋書き無しで話し合っていく予定です。
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