腐らない果実

安心していい おまえが飛び込んだ午後 12時38分のプールに 哀しみはひとかけらも紛れ込んではいない

粉々に割れた太陽が水飛沫に変わり 白いスイミングキャップが再び水面に現れた時 夏は見事に完成した

パティオに繚乱と咲く原色の草花 パンの屑を啄(つい)ばみながら食卓(テーブル)を闊歩(かっぽ)する小鳥 銀の皿に盛られた果実の中から 奔放に熟れた桃をひとつ選び取り 出来る限り粗暴におまえはそれを齧る

ローブを羽織ることさえもどかしく 濡れた身体が纏(まと)うのは音楽だけ こぼれる雫は足元で 永遠の在処(ありか)を告げる象形文字に変わり 解読しかけては太陽に盗まれる

なぜ恋をしたのか訊ねあうことは なぜ生きているのか答えようとするくらい

無意味な行為だと学んできたから 二人はもう 滴り落ちるセツナサを隠そうとはしない

恋人よ ラベンダーに群がる蜜蜂が 不吉な和音で羽根を震わせても脅えることはない

恋はいつか終わる 甘く瑞々(みずみず)しい桃が 数日後地面で爛(ただ)れた姿を晒すそれとまったく同じ理由で 恋は朽ち果てる

互いの痛みを分かちあい 我儘を讃(たた)えあい 希望を失くさず犠牲を厭わず 神が妬むほど完璧な関係であればあるほど 溢れゆく月日の濁流は 二人がそこに留まることを許さず やがて恋はその形すら保てなくなる

恋人よ 恋はいつか終わる だがそれは悲しむことではない

幸せに満ちた夏の午後 別れた後の自分を空想し 必ず今日を思い返すことがあると想像できれば 降りそそぐこの陽射しが 絡めあうこの指先が 今生まれ今消えようとするこの 1秒が どんなにかけがえのないものなのか気づくはずだ

恋人よ 心配はいらない 齧りかけの桃に群がる蟻の一団が 嫉妬深い神の化身だとしても 脅えることはない

世界で唯一腐敗することのない 記憶という美しい果実を 二人は今 実らせたのだから


1976 年作詞作曲家としてデビュー以来、昭和・平成・令和の3 世代でジャンルを超えてヒットチューンを生み出し続ける森雪之丞が、自選詩集『感情の配線』の発売を記念して詩を朗読する番組。 メロディーを脱ぎ捨てた諧謔とエロスと波動(グルーヴ)詩人・森雪之丞の言葉の軌跡を是非ご体感ください。

森雪之丞 自選詩集『感情の配線』 2024年1月14日(日)発売 特設サイト:https://www.mori-yukinojo.com/emotional_wiring/

ハッシュタグ:#感情の配線 #推詩
森雪之丞スタッフX: https://twitter.com/yukinojo_news