エミリー・ディキンソン「蜘蛛が銀の玉 ひとつ抱きかかえ」

あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン

13-06-2022 • 10分

こんにちは。

灰色の空が広がり、お天気ぐずつく日が増えてきました。空のご機嫌に振り回されて、体調や気分が、すっきり晴れない日も多くあります。おかわりありませんか。


先日、雨あがりの遊歩道の植え込みに、十以上の小さな蜘蛛の巣ができていました。レースのような巣には一面、小さな雨の丸いしずくがくっついて、そのひとつひとつが、日の光にキラキラ輝いていました。まるで、銀色に光る、雨後のオセロ大会のようでした。


この時期は、雨の恵みを得て、草木が育ち、虫の活動も活発になってきますね。働くアリの数も増え、花から花へ舞う蝶や、クローバーに集まる小さなハチ、そして、できれば、家の中に入って来て欲しくない虫も……その対策も、そろそろ始めなくてはいけないころです。


数年前、家族がムカデにかまれたことがありました。玄関で靴を脱ぎ、スリッパをはいた瞬間、痛みに叫び出し、こちらは何が起こったか分からず、おろおろ。その瞬間、見たことのない大きなムカデが、マッハのスピードでリビングの奥へと走り去るのが見えました。


救急センターへ電話しながら、腫れあがる足を応急処置。幸い、大事には至りませんでしたが、その後、カーテンが揺れるだけで大騒ぎするほど、取り逃した大ムカデに、しばらく怯えて過ごしました。アナフィラキシー症候群の心配もあり、今もムカデを見ると過剰に反応してしまいます。


私の住む場所は、自然が豊かなのはいいのですが、いろんな虫が家の中に入ってきます。でも、考えてみれば、私たちの方が、後から引っ越して来たわけで、彼らの場所にお邪魔しているのは、こちらの方なのでは、と思うようになりました。


それからというもの、虫のみなさんになるべく迷惑をかけぬよう、家の周りに結界を張るがごとく、自衛を心がけるようになりました。具体的には、玄関に虫の好まないハーブを植えたり、窓を開けるたび、ハッカスプレーをシュッとひと吹きしたり。心なしか、思わぬ遭遇に悲鳴をあげることが減りました。家のなかに、爽やかな香りも広がり、一石二鳥です。


ハーブやハッカに、全くおかまいなしの様子なのは、蜘蛛です。家の中、外、かまわず、よく巣を作ります。でも、お互いに使わない空間を共有しているので、現役の巣は、そのままにしています。そして、空き家になったものは、もういいよねと取り去るようにしています。


どこにいようとも、自分の世界を、淡々と作り上げる蜘蛛。

今日は、銀の糸が織りなす、儚い宇宙を感じる詩をおくります。


> The Spider holds a Silver Ball

> In unperceived Hands ―

> And dancing softly to Himself

> His Yarn of Pearl ― unwinds ―

>

> He plies from nought to nought ―

> In unsubstantial Trade ―

> Supplants our Tapestries with His ―

> In half the period ―

>

> An Hour to rear supreme

> His Continents of Light ―

> Then dangle from the Housewife's Broom ―

> His Boundaries ― forgot ―

>

> 蜘蛛が 銀の玉 ひとつ 抱きかかえ

> 手のうち 見せぬまま

> ひとり 軽やかに おどりながら

> 真珠の糸を ほどいてゆく

>

> 何もないところから

> 何もないところへと

> 編みあげてゆく

> 命をつむぐ そのためだけに

> 気づけばもう

> 壁の飾りに 取ってかわって

>

> 1時間もすれば それはすばらしい

> 光とひと続きの世界が できあがる

> つぎの瞬間 家のひとの ほうきに ぶらり

> 世界の継ぎ目は もう過去のもの


よく晴れたある日、近くの森におじゃましたときのことです。歩き疲れ、座ったきりかぶに、先客がいました。ムカデです。一瞬ドキッとしましたが、森のムカデは、日光を浴びながら、ひたすら、ぼーっとしていました。どれが手か足か分からないですが、時折、もぞっと手足を動かしながら。

あの日、スリッパの大ムカデは、私たち以上に、びっくりし、怖かったのではないか。本来は、こんなにも、のんびりした生きものなのに……ごめんよと思いながら、森のひとときを、ともに過ごしました。


穏やかに、そっと暮らしていたいだけ。


その気持ちは、虫も、人も、同じなのですよね。


この手前は、私の世界。

その先は、あなたの世界。


互いの世界の境界線を、探りながら、

ひとつの世界を、分けあえたなら。


でも、ひとつを共有することは、

人同士となれば、さらに難しい。

気づけば、際の、せめぎ合い。


心を開け放しても、安心していられるハッカの香りが、

心の窓際にも、シュッとひと吹き、欲しいときがあります。

お互いに、「いい自分」のままで、いられるために。


一方で、ハッカをまいても、まかなくても、

おかまいなしの気ままな関係にも、憧れながら。

そして、一度でいいから、あの透き通る銀の玉を、

腕いっぱい、抱きかかえてみたいものです。


ハッカの香りは、夏の、心の、窓が開く合図。

あなたの元にも、届きますように。


また手紙を書きます。


あなたのいない夕暮れに。


文:小谷ふみ

朗読:天野さえか

絵:黒坂麻衣