エミリー・ディキンソン「かなしみのように ひっそりと」

あなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソン

09-09-2021 • 9分

あなたへ


こんにちは。夏の炎を吹き消すような、涼しい風が吹く季節になりました。おかわりありませんか。

思い出したように火照る日はまだありますが、燃え盛る夏の間には出来なかったことに、やっと手を伸ばしています。


今日は、海外に住む友人に手紙を出しました。エアメールを書くのは数十年ぶりで、宛名の書き方を思い出そうとしていたら、学生時代の色あせかけた記憶も一緒に引き出されてきました。


高校時代に、アメリカで寮暮らしをしていた時のことです。

車で1時間は走らないと町に出られない田舎町での日々に、日本から送られてくる荷物や手紙は、一番の楽しみでした。


毎日、カフェテリアで朝食が終わるころ、手紙や荷物が届いている人の名前が呼ばれます。名前を呼ばれた人は嬉しそうに取りに行き、呼ばれなかった人は羨ましそうにその様子を眺めます。

自分宛の手紙があった日は、そそくさと部屋に持ち帰り、ひと息つきます。そして、青と赤の縞模様に縁取られた封筒を丁寧に開くと、まずは一気に読み、それから一字一字ゆっくり読みます。すると、手紙の内容はもちろんですが、筆圧で出来た文字のでこぼこや、インクのにじみ、手の湿気で少しよれた、薄く柔らかな便箋そのものが愛しく感じられるのです。


あんなに待ち遠しく、嬉しかったエアメール。あの小鳥の羽のような便箋と封筒の生産を、今はもう終了したメーカーがあるそうです。電子の手紙にその居場所を譲っていたことを知った時は、とても残念で寂しく、同時に、ちょっと後ろめたい気持ちにもなりました。

それは、去りゆく季節への、惜別の感情に似ていました。

今日は、静かに去った夏に、残された者が想いをしたためた日記のような詩をおくります。


> As imperceptibly as Grief

> The Summer lapsed away-

> Too imperceptible at last

> To seem like Perfidy-

>

> A Quietness distilled

> As Twilight long begun,

> Or Nature spending with herself

> Sequestered Afternoon-

>

> The Dusk drew earlier in-

> The Morning foreign shone-

> A courteous, yet harrowing Grace,

> As GUEST, that would be gone-

>

> And thus, without a Wing

> Or service of a Keel

> Our Summer made her light escape

> Into the Beautiful.

>

> かなしみのように ひっそりと

> 夏は過ぎ去った

> 背を向けられたことに

> 最後まで 誰も気づかないほど

>

> 夜のとばりが ゆっくり降りるように

> 静けさの雫が にじみ出て来る

> 窓の外の午後は 誰に邪魔されることなく

> 静かに自然の時を刻む

>

> 夕闇は ますます足早に深まり

> 朝日は 今までとは違う輝きを見せる

> それはまるで

> ともに過ごした人が去っていくよう

> こちらを気遣いながら

> でも 切なくなるほど優雅に

>

> そうやって 翼も

> 船の便もないのに

> 私たちの夏は 軽やかにすり抜けて行った

> 美しき彼方へと


日本からのエアメールは、隠したホームシックを優しく包んでくれたものでした。また、外国から届いたものは、居ながらに異国の遠い空へと連れ出してくれるものでした。


大学生の頃、ヨーロッパへ放浪のひとり旅に出た友達から、1週間ごとに旅の記録が送られてきたことがありました。そこには、写真や記憶には残しきれないことが淡々と、紙いっぱいに書かれていました。放浪の旅なので返事を書きようもなく、一方通行の手紙は、空から届く旅の本のようになりました。


恋人ではなく、なぜ私に託すのかと当時は不思議に思いましたが、今なら分かるような気がします。恋は、やがては消えて去る、ひとつの季節ようです。儚い風が吹くことのない誰かに、孤独な旅の歩みを知っていて欲しかったのかもしれません。


今も手紙を保管していることを、照れ屋の友に伝えられずにいます。いつか大人になったら箱ごと渡そうと思っていたのですが、どれほど大人になったら、青い春が残した旅の手紙を、恥ずかしい気持ちにならずに読めるでしょうか……我が身に置き換えては、計り兼ねています。


私たちのもとを去った季節は、今も意外な姿で眠ったまま、

いつか箱のふたが開く、その時を待っているかもしれません。


あなたとの、このやりとりも、

私たちが生きた日々の足跡になってゆくのかなと思いながら、

また手紙を書きます。


あなたのいない夕暮れに。


文:小谷ふみ

朗読:天野さえか

絵:黒坂麻衣


## 小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて


最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。


「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。


その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。


彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。


2020年 秋 小谷ふみ