あなたへ
こんにちは。夏の炎を吹き消すような、涼しい風が吹く季節になりました。おかわりありませんか。
思い出したように火照る日はまだありますが、燃え盛る夏の間には出来なかったことに、やっと手を伸ばしています。
今日は、海外に住む友人に手紙を出しました。エアメールを書くのは数十年ぶりで、宛名の書き方を思い出そうとしていたら、学生時代の色あせかけた記憶も一緒に引き出されてきました。
高校時代に、アメリカで寮暮らしをしていた時のことです。
車で1時間は走らないと町に出られない田舎町での日々に、日本から送られてくる荷物や手紙は、一番の楽しみでした。
毎日、カフェテリアで朝食が終わるころ、手紙や荷物が届いている人の名前が呼ばれます。名前を呼ばれた人は嬉しそうに取りに行き、呼ばれなかった人は羨ましそうにその様子を眺めます。
自分宛の手紙があった日は、そそくさと部屋に持ち帰り、ひと息つきます。そして、青と赤の縞模様に縁取られた封筒を丁寧に開くと、まずは一気に読み、それから一字一字ゆっくり読みます。すると、手紙の内容はもちろんですが、筆圧で出来た文字のでこぼこや、インクのにじみ、手の湿気で少しよれた、薄く柔らかな便箋そのものが愛しく感じられるのです。
あんなに待ち遠しく、嬉しかったエアメール。あの小鳥の羽のような便箋と封筒の生産を、今はもう終了したメーカーがあるそうです。電子の手紙にその居場所を譲っていたことを知った時は、とても残念で寂しく、同時に、ちょっと後ろめたい気持ちにもなりました。
それは、去りゆく季節への、惜別の感情に似ていました。
今日は、静かに去った夏に、残された者が想いをしたためた日記のような詩をおくります。
> As imperceptibly as Grief
> The Summer lapsed away-
> Too imperceptible at last
> To seem like Perfidy-
>
> A Quietness distilled
> As Twilight long begun,
> Or Nature spending with herself
> Sequestered Afternoon-
>
> The Dusk drew earlier in-
> The Morning foreign shone-
> A courteous, yet harrowing Grace,
> As GUEST, that would be gone-
>
> And thus, without a Wing
> Or service of a Keel
> Our Summer made her light escape
> Into the Beautiful.
>
> かなしみのように ひっそりと
> 夏は過ぎ去った
> 背を向けられたことに
> 最後まで 誰も気づかないほど
>
> 夜のとばりが ゆっくり降りるように
> 静けさの雫が にじみ出て来る
> 窓の外の午後は 誰に邪魔されることなく
> 静かに自然の時を刻む
>
> 夕闇は ますます足早に深まり
> 朝日は 今までとは違う輝きを見せる
> それはまるで
> ともに過ごした人が去っていくよう
> こちらを気遣いながら
> でも 切なくなるほど優雅に
>
> そうやって 翼も
> 船の便もないのに
> 私たちの夏は 軽やかにすり抜けて行った
> 美しき彼方へと
日本からのエアメールは、隠したホームシックを優しく包んでくれたものでした。また、外国から届いたものは、居ながらに異国の遠い空へと連れ出してくれるものでした。
大学生の頃、ヨーロッパへ放浪のひとり旅に出た友達から、1週間ごとに旅の記録が送られてきたことがありました。そこには、写真や記憶には残しきれないことが淡々と、紙いっぱいに書かれていました。放浪の旅なので返事を書きようもなく、一方通行の手紙は、空から届く旅の本のようになりました。
恋人ではなく、なぜ私に託すのかと当時は不思議に思いましたが、今なら分かるような気がします。恋は、やがては消えて去る、ひとつの季節ようです。儚い風が吹くことのない誰かに、孤独な旅の歩みを知っていて欲しかったのかもしれません。
今も手紙を保管していることを、照れ屋の友に伝えられずにいます。いつか大人になったら箱ごと渡そうと思っていたのですが、どれほど大人になったら、青い春が残した旅の手紙を、恥ずかしい気持ちにならずに読めるでしょうか……我が身に置き換えては、計り兼ねています。
私たちのもとを去った季節は、今も意外な姿で眠ったまま、
いつか箱のふたが開く、その時を待っているかもしれません。
あなたとの、このやりとりも、
私たちが生きた日々の足跡になってゆくのかなと思いながら、
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
## 小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ