#52 みんまちトーク『移動式あそび場の星野諭さん登場!〜東京デザイナーアカデミーの教え子が聞く星野先生が抱き続けるそのパッション』

みんなのまちづくりトーク

12-05-2024 • 16分

#52 みんまちトーク『移動式あそび場の星野諭さん登場!〜東京デザイナーアカデミーの教え子が聞く星野先生が抱き続けるそのパッション』


この番組は「認定NPO法人日本都市計画家協会;通称⁠⁠⁠JSURP⁠⁠⁠(じぇいさーぷ)」がお届けするポッドキャスト『みんなのまちづくりトーク』です。毎回多彩なゲストと共に、いま話題のまちづくり事例、新しい制度、活動のhow-toなどを紹介していきます。

★☆★「この番組、いいね♪」とお感じになった方は是非、当協会(JSURP)へのご寄付を御願いします!あなたのご寄付がわたしたちNPO法人のエネルギー源になります!⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://jsurp.jp/nyuukai/⁠⁠⁠⁠⁠

第52回は、移動式あそび場全国ネットワーク 星野 諭 代表をゲストスピーカーに迎え、星野さんから学生時代から今に至るまで一貫して活動しつづけている「子ども達のための場づくり」を、星野さんの生まれ育ちからじっくりと伺う回です。そしてその聞き手は、現在星野さんが教鞭をとっている「東京デザイナー・アカデミー(旧東京デザイナー学院)の建築デザイン学科の学生さん三名。知ってはいたけれど、じっくり聴いたことは無かったという先生の取り組みとそのパッションを、三人の学生さんと共にじっくりとお聴き下さい。

▼話していたことのリンク

・移動式あそび場全国ネットワーク

https://mpn-japan.com/

・遊び道具を車に積んで、移動先を遊び場に!移動式あそび場全国ネットワーク 星野諭代表に聞く(新・公民連携最前線)

https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/434148/091200122/

・東京デザイナー・アカデミー 建築デザイン学科

https://www.tdg.ac.jp/department/architecture/

・NPO法人コドモ・ワカモノまちing(星野さんの活動原点;当時の情報サイト)

https://www.mm-chiyoda.or.jp/story/2110.html

・星野諭さんプロフィールサイト

https://www.tumugiyasan.com/about1-c1x1t

▼出演者

◆星野 諭(ほしの さとる ;通称かーびー)

移動式あそび場全国ネットワーク代表。プレイワーカー/一級建築士/地域コーディネーター/子ども防災活動家。あそびは世界を自由と平和にする!をモットーに全国各地で移動式あそび場を活動中。幼少期は新潟の山で育つ野生児。2001年の学生時代にNPO団体を結成し、空き家を改装した子どもの居場所づくりや里山キャンプ、地域イベントなどを実施。2008年移動式あそび場を創造し、廃材や自然素材の遊び場、サバイバルキャンプ、オルタナティブスクール、イベントなどを関東を中心に全国各地で開催。様々な企業や自治体、大学や地域と協働し、年間100事業を展開し、約3万人の子どもとふれあっている。


◆聞き手

高橋 美姫さん(たかはし みき)さん

井口 幸来(いぐち さら)さん

丑久保 太一(うしくぼ たいち)さん

※共に「東京デザイナー・アカデミー」建築デザイン学科2年

□パーソナリティ:原 拓也(Jsurp理事)


◇フリーBGM・音楽素材MusMus https://musmus.main.jp


▼キーワード

活動開始は大学4年/こどもと一緒にデザインしよう会/きっかけは幼少期/妙高市出身/3歳から薪風呂/大学(日本大学理工学部建築学科)で上京したときに衝撃/ソトでコドモが遊んでいない/当時はやりたい思いだけ/町に出て町会に何かやらせて下さいと/様々お手伝いするなかで/お蕎麦屋さんに出会う/2001〜2003年の大学・大学院時代/4年生の時にビラをつくって200枚配って/15名ほど仲間をつくり/サークル化して部室を得て/周辺の大学にも声掛け/卒業した頃に神田に空き家が/1階を子供向けに/2階は学生のシェアする場に/ただお金がなかった/家賃10万円を6万円くらいまで下げたがそれでも大変/まずはリノベーションするための素材集め/工務店や取り壊しする現場に行っていろんなものを戴いた/床材から給湯器まで/10万以下で/運営も一大学では限界/五大学でチーム/曜日毎に大学交代制/月曜日は日大建築系なので物づくり/ファッション系大学は染め物/電機大学はロボットつくり/学生×こどもの遊びが毎日生まれた/こどもたちもワカモノ達も繋がった/その子供基地をつくったのは大学院を卒業したタイミング/いまもそのサークルはある/卒業したあとは設計事務所や中間支援組織で働いていた/二足のわらじ、建築士勉強を加えると三足のわらじ/全部したかったこと/いまも基本的には変わらない/いま46歳だが「46歳児」と言われる/29歳で独立/NPO法人コドモ・ワカモノまちingを設立/子ども達と若者達が一緒に企画する掛け算と地域との掛け算/例えば、「ゴミ拾い活動をしたい」学生×「楽器をしたい」子ども達×「ガイドツアーをしたい」商店街=トングなどで楽器を奏でながらゴミ拾いしながら町を案内する/NPO法人設立時には神田の子ども基地が開発で取り壊し/物件を探して悩んでいた時にボトリングカーを見て/遊び場を移動しようと発案/自然体験×こどもの居場所×コミュニティづくりがキーワードだった/それがトラック型でやれば全て同時に出来るとひらめいた/移動式遊び場の原点/その時にトヨタ財団の支援を受けた/その企画書には「災害があったらかけつける」と決めていた/当時は「災害直後はもっとやることがあるのでは?」との自問自答があったが/10年間で150回被災地に通った・・・(つづく)