#46 みんまちトーク『元エルメス本社副社長 齋藤 峰明氏に聞く、日本と日本人への熱き思い(1)』

みんなのまちづくりトーク

31-03-2024 • 21分

#46 みんまちトーク『元エルメス本社副社長 齋藤 峰明氏に聞く、日本と日本人への熱き思い(1)』

この番組は「認定NPO法人日本都市計画家協会;通称⁠⁠⁠JSURP⁠⁠⁠(じぇいさーぷ)」がお届けするポッドキャスト『みんなのまちづくりトーク』です。毎回多彩なゲストと共に、いま話題のまちづくり事例、新しい制度、活動のhow-toなどを紹介していきます。

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第46回は、当会Jsurp日本都市計画家協会の正会員;伴 宣久(ばん のぶひさ)さんと、伴さんの親しいご友人である齋藤 峰明(さいとう みねあき)さんをゲストスピーカーに迎え、地域ブランディングに関する齋藤さんの熱き思いをじっくりと伺うシリーズの第一回です。齋藤さんはエルメスジャポン社長を経て、同社フランス本社の副社長までお勤めになった異色の経歴をもつ方。現在もドイツ人の奥様とお子さん方と共にフランスに住む齋藤さんが、祖国日本と日本人への深い愛と熱い自負を持って熱く語ります。お話しのなかで触れて頂く彼自身のご経歴も聞き応え抜群です。結果的に全三回では収まりきれなかったので、恐らく近い将来、続編が実現すると思われますが、どうぞゆっくりとお聴き下さい。

▼話していたことのリンク

「日本で最も美しい村連合」ブランディングアドバイザー就任のお知らせ

https://utsukushii-mura.jp/news/4447/

▼出演者

◆齋藤 峰明(さいとう みねあき):元エルメスパリ本社副社長。静岡県出身。1971年渡仏、パリ第⼀(ソルボンヌ)⼤学芸術学部卒。三越パリ駐在所⻑を経てエルメス本社に⼊社後、エルメスジャポンに赴任。1998年より代表取締役社⻑として⽇本でのエルメスの発展に貢献。2008年には外国⼈で初めてエルメスパリ本社の副社⻑及びライカカメラジャパン会⻑に就任。2015年にエルメスを退社後、シーナリーインターナショナルを設⽴。現在パリと東京をベースに、企業のブランド戦略のコンサルティングほか、伝統産業や地方再生の支援の活動を行う。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。エルメスでの仕事を語った本に「エスプリ思考〜エルメス本社副社長、齋藤峰明が語る」(川島蓉子著)ほか、虎屋黒川社長との共著「老舗の流儀」がある。

◆伴 宜久(伴 のぶひさ): (一財)日本建築設備・昇降機センター定期報告部長。東京都市大学(旧武蔵工業大学)工学部建築学科卒業。東京都立大学(旧首都大学東京)都市環境科学研究科博士課程後期修了、博士(工学)。民間から東京都特別区(台東区)管理職を経て、現職。行政で、営繕課長では、台東区立病院建設、上野中央通り地下駐車場建設等、公共施設の建設、営繕を担当。まちづくり推進課長として、浅草通りシンボルロード整備地元調整担当、浅草六区地区計画策定、御徒町地区計画変更、両地区計画区域内の事業調整、台東区景観計画を策定。近著に「〔実践〕自治体まちづくり学」(公人の友社 (2024/2/5);共著)がある。

□パーソナリティ:原 拓也(Jsurp理事・副会長)

◇フリーBGM・音楽素材MusMus https://musmus.main.jp

▼キーワード

美しい景色の原風景/島田市での2年間の小学生時代/その後70年代初頭の学生運動の最中の高校生時代/新しい風が全てフランスから来ているという感覚/日本の社会への閉塞感/ソルボンヌ第一大学芸術学部を経て三越に入社(本社採用でフランス駐在、その後パリ三越の駐在所長)/バイヤーの仕事/何がモノとして良いのか/何故これが流行っているのか/新しいものを発掘して日本に送る/しかし良いモノでも日本で売れないものもある/モノというのは必要とされて生まれる/フランスで必要とされていても日本では必要とされない/気付いていない/日本独特に必要としているものもある/逆に言えば日本で売れるものは何か/フランスで売れているものとマッチングさせることが仕事だった/どうすれば人が幸せになるか/モノやコトを探すビジネスだった/22年間あっという間に過ぎた/ソルボンヌ大一年生からアルバイトを(三越トラベルで)していた/3日アルバイト+3日大学という生活/大学が休みの6月は繁忙期/富裕層(≒経営層)が株主総会後に海外へ行くから/三越内での文化展の開催のため、イタリア人三越社員の助手として各美術館館長クラスを往訪する機会も/(卒業して三越に入社した後は)高級ブランドオーナーと話して売れそうなものをバイヤーに紹介する、ヨーロッパ全土をまわり、良いモノを探す、新しいレストランが出来たら必ず食べに行くという毎日/ただし良いモノを店に置くだけでは売れない/販売員が「どういう価値がある」と説明出来なければ売れない/特に日本に送った際に日本の(三越の)販売員はその思いを伝えきれないケースも当時はあった/その後、エルメスから声掛けがあり、エルメスジャポンに来ないかと/日本で働くのは無理と思い一度断った/しかし職人が集まるアトリエに社長に連れて行かれて魅了された/日本人として手作りの職人技に惹かれた/老舗、職人の精神/日本社会は大変だろうけれど日本に行くことを決めた/振りかえってみると、何のためにモノが生まれるのか/必要とされて生まれるモノを生む日本は、使い手としても一流/価値をちゃんと分かってもらう人に伝える仕事/三越22年、エルメス23年の会社勤めの後/フランスで生活して日本にフランスのモノを輸出していたが/今度は日本のために何かやりたいとの思いでシーナリーインターナショナルを設立した(次回へ続く)