感想
わたしは映画館の前に立っていた。いつもなら心躍る場所だが、その日は少しばかり気が重い。なにしろ『モアナと伝説の海2』を観に来てしまったのだ。数日前に行ったアンケート企画で、「次にどんな映画を観ればいいか」と問いかけたところ、この作品が票を集めた。それならばと決心したのはいいが、「本当にこれでよかったのだろうか」という疑念が、映画館の大きなポスターを前にして一層膨れ上がっていく。
そもそも、わたしはこの『モアナ』シリーズ自体あまり好きではない。正直に言えば、数日前、AMAZONで四百円ほど支払って前作を視聴したものの、大して面白いとは感じなかったからだ。海のCG描写は確かにきれいだった。けれど、ストーリーの動機付けに今ひとつ説得力がない。子ども向けとはいえ、もう少し「なぜ冒険に出るのか」「なぜそこまで主人公が突き動かされるのか」という部分がはっきり見えたら、わたしだって入り込めるのに。海の神秘や家族の物語を期待していたのに、結局は“冒険しなきゃいけないっぽいから冒険に出ました”という展開が腑に落ちなかった。そんなわたしが、続編の『モアナと伝説の海2』をわざわざ観に行く理由――それこそが、今回の投票結果というわけなのだ。
劇場に入ると、案の定、親子連れが席を埋めつつあった。にぎやかな子どもの声が響き、ロビーにはポップコーンの甘い香りが漂う。そこにひとりで来ている中年男の姿が浮き立ってしまうのは当然だろう。だが、わたしには「しぶしぶとはいえ、観る義務があるのだ」と自分を奮い立たせる理由がある。投票した皆の手前、ここで逃げるわけにはいかない。もしかしたら、今回こそはわたしの想像を越える傑作になっているのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、ポップコーンも買わず、席に着いた。
映画が始まる。スクリーンに広がる南国の海と砂浜。前作同様、視覚効果はさすがと言うべきだろう。水面の輝きからキャラクターの髪の毛の動きまで、CGの技術力は高く、美しさが目を奪う。しかし、問題はそこではない。どんなに映像が美しくても、物語の核心となる「なぜ?」が弱ければ、感動という舟は海に浮かばないのだ。
始まってしばらくして、モアナがまたもや冒険に出る展開が訪れる。ふわりとした危機感だけが語られるが、どうも納得できない。前作同様、あるいはそれ以上に唐突な展開で「行かなきゃ」と心が決まってしまうのだ。主人公は若い少女なのだから、決断力があるのはいいことだ。だが、その決断を下す瞬間こそが観る者にカタルシスを与えるのに、それが歌でさっと流されてしまう。しかも、ミュージカル映画だからといっても、いちばん説明を必要とする肝心な場面を「歌」でざっくり飛ばされると、観客は「え? いま何が起こったの?」と置いてきぼりになる。物語を牽引するモアナの行動原理が薄いまま、海へと漕ぎ出す姿を観ても、どうにも心がついていかない。
それでも子どもたちは楽しんでいるのかもしれない――わたしはそう思って劇場を見回した。だが、わたしの周囲にいた親子連れたちも、前に観た『マリオ』のときほどの熱狂を見せていないように感じた。子ども独特の「わあ、すごい!」という感嘆がほとんど聞こえない。実際には誰かしら喜んでいるのかもしれないけれど、少なくとも劇場はそれほど盛り上がっていないように思えた。
モアナを観終わったあと、口直しのために『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を観た。そして、これが思いのほか面白かったのだ。血湧き肉躍るアクションは迫力があるし、きちんと主人公の行動原理が示される。たとえ多少荒唐無稽でも、「主人公がなぜ闘うのか」が芯としてあるからこそ、観客の心に訴えかける。おそらく小学校高学年以上なら、この作品のほうがよほど心に残るだろう。少なくとも、唐突に歌で設定を飛ばし、唐突にキャラクターが出てきて……という展開よりは、ずっと良質なエンターテインメントになっている。
そうした比較対象が手元にあるからこそ、『モアナと伝説の海2』のストーリーに対する不満は増幅されてしまう。冒険を始める理由が弱いばかりか、中盤から終盤にかけて登場する“大ボス”の扱いがまた納得できないのだ。なぜその敵が悪意を抱くのか、何を目的としているのかがほとんど描かれない。自分の意思で戦うにしても、戦わされるにしても、「その相手は何者なのか」という点が不明瞭だと、クライマックスへ向けた盛り上がりに欠けてしまう。作中、かろうじて最後のほうで姿が出てきたかと思えば、明らかに続編を意識した含みを持たせて終わる。これでは「最終的な決着は別の機会に回しましょう」と言っているようなもの。映画としてひとつの物語をきちんと完結させる意志が感じられない。
後日、わたしは何かしらこの作品の制作経緯を調べてみた。するとどうやら、当初はディズニープラス向けのドラマ作品として企画されていたものらしい。「やっぱり映画館で公開してみたら儲かるのでは?」という流れで急遽映画化したのだろう。そう言われると妙に腑に落ちる。ほかのディズニー関連作品も、マーベルやスター・ウォーズのドラマシリーズなどが乱立する中でクオリティが落ちている。シリーズものを増やしすぎては、ファンが付いていかなくなる。似たような世界観の作品が次から次へと量産されれば、あらたな作品をすべて追うのに疲れてしまうのだ。
少し前まではマーベルドラマの『ロキ』やスター・ウォーズの『マンダロリアン』をわたしもそれなりに楽しんでいた。ところが、このところあまりにも多くの派生シリーズが作られ、ディズニープラスに加入し続けないと全貌を追えないような状況に辟易している。短期間に続編を連発すると、作品ひとつひとつの重みが消えてしまう。熱心なファンを取り込もうとしているのかもしれないが、逆にライトユーザーを遠ざけているようにしか見えない。それと同じ問題が、この『モアナと伝説の海2』にも当てはまるのではないか。映画として完結できないつくりなのは、「続きはディズニープラスで」的なビジネスの匂いが濃厚だからかもしれない。
鑑賞後、わたしは帰り道であらためて思う。子ども向けというのなら、それこそ一度観たら心に爪痕を残すぐらいのインパクトを与えてほしい。ミュージカル仕立てでも、曲が素晴らしければそれが心に刻まれるだろう。だが、今回わたしが感じたのは「説明するべきところが説明されないまま歌が始まり、そのまま気づけばシーンが先に進んでしまう」という、空虚なテンポの悪さだ。子どもたちにも分かりやすい物語は必要だろうが、それはイコール浅い動機でいいということではない。家族愛や島を救う使命感を描くなら、登場人物の痛みや喜び、必死さを丁寧に描いてこそ感動につながる。ところが、この作品は肝心の部分を煙に巻くような演出で済ませてしまっている印象が強い。
そういう意味では、子どもに観せるならば『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』のほうが、ずっと心を揺さぶるのではないかとさえ思う。たしかに激しいアクションシーンややや残酷な描写もあるが、小学生以上なら理解できるメッセージもあるはずだ。それが映画の持つ力というものではないのだろうか。
何より、今回わたしが『モアナと伝説の海2』を観て痛感したのは、ディズニー自体が「これまで育んできたブランド力」を安易に擦り減らしているように感じられたことだ。『アナと雪の女王』で一度は勢いを取り戻したかと思いきや、ドラマシリーズや続編を乱発し、一本ごとの鮮度が下がっている。名作を数多く生み出してきた歴史があるだけに、これは実に残念だ。わたしは作品そのものに政治的な主張を求めるつもりはないが、ディズニーという巨大企業の舵取りが迷走しはじめているように映る。
ポスターが貼られた劇場を通り抜けると、子どもたちの手を引く親たちが楽しそうに歩いている。彼らの姿を見ると、わたしは思わず苦笑した。いつかあの子どもたちが大きくなったとき、彼らの記憶にはディズニー映画がどんな風に残るのだろうか。心に深く刻まれるような名作になっているだろうか。それとも、量産された作品群のひとつに埋もれてしまうのだろうか。
そう思うと、わたしは少し切ない気持ちになる。投票で選ばれた以上、最後まで観る義務を果たしたわたしだが、正直なところ、もう二度とこの映画を観返すことはないだろう。冒険の理由も薄く、大ボスの正体もぼんやりしたまま、歌で誤魔化されたように感じるストーリーは、残念ながらわたしの心に刻まれる作品にはなり得なかった。