ある女性教友の終活

天理教の時間「家族円満」

07-06-2024 • 0秒

ある女性教友の終活  インドネシア在住  張間 洋 先日、ジャカルタ郊外で教友のAさんが81歳で出直されました。その知らせに、その月のインドネシア出張所月次祭に参拝した誰もが耳を疑ったと思います。なぜなら、祭典でてをどりをつとめ、直会の席で談笑し、自分の足で公共交通機関を使って帰るAさんの元気な姿を皆が目にしていたのですから。しかも突然の訃報が入ったのは、その月次祭の翌日のことでした。 ただでさえ歩行者に優しくないジャカルタの交通事情の中、公共交通機関のみで片道二時間かけ、月次祭に毎月欠かさず参拝してくださる姿を見て、常々頭の下がる思いがしていました。 知らせを受け、夕暮れ前にジャカルタ郊外にあるAさんの自宅にうかがいました。寝室に通してもらうと、白布を掛けられている亡骸が目に飛び込んできました。布をとってお顔を見た瞬間、前日お会いしたばかりでこんなことがあるのかと、感情を抑えきれませんでした。 Aさんはここ数年、人生の終わりを見据え、終活に取り組んでいました。生涯独身で、親戚も海外在住の実の姉と、疎遠になっている義理の妹がいるだけだと聞いていました。 数年前に持ち家を手放し、家具や家電も少しずつ処分し、写真や思い出の品なども整理しているとのこと。私にも「出張所でこのDVDプレーヤーを使ってね」とか、「このこけしは日本に行った時のものだから、出張所で引き取ってね」などと声を掛けてくれていました。 また、寝室にはすでに死装束として、教服一式や下着などが一つのかばんに入れて準備されていました。出張所の月次祭でも以前は教服を持参していたのですが、それをしなくなった理由がこの時に分かりました。 Aさんは1987年、インドネシア出張所が開設される年におさづけの理を拝戴して以来、ずっと途切れることなく足を運び続けた方で、出張所では世間話もお好きでしたが、いつも教祖のお話をすることを好まれました。ここ数年はさらに熱心に教えを求め実践し、周囲の方々に伝えることを地道に続け、時折そうして声を掛けた方を出張所に導いていました。 また終活の一環として、近隣の方々とのお付き合いをとても大事にしていました。訃報を受けて自宅を訪れた際、「あの、もしかしてコミュニティからの方ですか?」と声を掛けられました。 何のことかと思ったのですが、よく聞いてみると、コミュニティとは天理教のことを指していました。Aさんは「私にもしものことがあったら、後のことはすべてコミュニティの人たちに委ねてほしい」との遺言を、近隣の親しい方や町内会長さんに託していたのです。 インドネシアでは、一般的に「宗教」とみなされるのはイスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教、儒教の6つで、全国民がこの中のどれか一つに所属し、宗教省という行政機関のもとに管理されています。ゆえに、出生や結婚、死亡などの節目の際には、所属宗教の認可と書類手続きが必要になるのです。 Aさんの遺言は、当然それを理解した上でのもので、どのように見送ることができるか、私たち天理教の者数名と近隣の方々で話し合いを持ちました。 まず、遺言通り天理教式で葬儀をすることは現実的に不可能なので、所属している宗教に則った葬儀を行うことになり、葬儀ののちは火葬し、海へ散骨してほしいとの遺言についても検討しました。喪主となるべき家族や親族が不在で、決定権があいまいな中、その夜のうちに居合わせた者で相談し、まずは斎場を押さえるところから動き始めました。 すると、数珠繋ぎのように信じられないことが立て続けに起こりました。まず斎場に行くと、夜中にも関わらず、同行していた近隣の方の同級生だという神父さんがたまたま居合わせ、その方に頼んで葬儀を取り仕切って頂くことになりました。その神父さんはその場で実に手際よく、斎場への亡骸の搬送から、式に至る段取りまでつけて下さいました。 さらに驚いたことに、斎場に寄贈者不明の棺が届いていたり、町内会で霊柩車を所持していたことも重なり、日付が変わる頃にはすべての準備が済み、その日に葬儀を行い、夕方には火葬まで終える手筈が整ったのです。 疎遠だった義理の妹さんとその家族にも連絡が取れ、葬儀への参列が叶い、無事見送って頂くことができました。 斎場での式が終わった後、出張所において、天理教式の葬後霊祭という形をとって信者一同で見送らせて頂きました。その直会の席で、いかにAさんの出直し、去り際がきれいなものだったか、そして、Aさんをいい形で見送りたいという近隣の方々の思いがどれほど強いものであったかが話題になり、それもAさんの温かい人柄と、何より信仰者としての日々の通り方によるものであったのだと感心せずにはいられませんでした。 このインドネシアで天理教の信仰を続けることがいかに大変なことかを考えると、今さらながら頭の下がる思いがします。 そして、出直す前日の月次祭の参拝は、親神様がAさんの真実のつとめに対して与えられた最後の贈り物だったのかもしれないと、今、思いを馳せています。 だけど有難い  『幸せの条件』 私は時々、若い学生さんが集まった席で、こう尋ねることがあります。「幸せの条件って、どんなことだろうか?」。そして、手を挙げてもらいます。 たとえば「財産がある」―意外に手は挙がりません。若いですから、お金なんか要らないと思っている人もいますし、そんなことはあまり重要ではないと思いたい、という気持ちもあるのでしょう。そこで「本当に要らないの? なかったら困らない?」「何回、手を挙げてもいいよ」と言うと、ジワジワと増えていって、最後には大半が手を挙げます。 「大好きな人と結婚する」―これは文句なしにたくさん挙がります。 「健康」―これも文句なし。 「仕事」―これは全員ではありませんが、男子はほとんど手を挙げます。 「生き甲斐になるような趣味」―これも、そこそこ挙がります。 「子供」―これはたくさん挙がります。 ほかにも「地位」や「名誉」―これも数は少し減るけれども手が挙がります。こんな調子で列挙していくと、「幸せの条件」はいろいろあるのです。 そこで次に、「大好きな人と結婚して、仕事が順調で、子供も生まれて、家族みな健康。言うことなしの状態で一年経ったとして、幸せだろうか?」と聞くと、あまり手が挙がらないのです。「先ほど挙がった条件が入っているのに、なぜ手が挙がらないんだろう」と尋ねると、「そのときになってみないと分からない」という答えが返ってきました。 そうなのです。実は大好きな人と結婚しても、一年経ったら大好きかどうか分からないのです。財産があっても、揉めている家もあります。子供がいたらうれしいなと思っても、子供で困っている家もある。つまり、「幸せの条件」が与えられているからといって、幸せとは限らないのです。世界中で一番お金持ちの人は、きっとどこかにいるに違いありません。じゃあ、その人が幸せかといえば、それは分かりません。 では、幸せの元はどこにあるのでしょうか。それは心です。「子供がいることがうれしい」「配偶者がいることがうれしい」と思えたら幸せですし、「嫌だなあ」と思ったら不幸せなのです。 以前、ある六十代の女性がおたすけを願ってこられました。その方は、喉頭ガンで食道を全摘出されました。大変苦しいと、泣きながら訴えられます。全摘出ですから食べ物が入りにくくて苦しい。体は手術の跡も生々しい。「自分は手術してほしいと思っていたわけじゃない。承知した覚えがない。痛い苦しいと言っても、家族が分かってくれない」と泣いて訴えられるのです。 その方の話を聞いたうえで、私は尋ねました。 「教祖が貧のどん底を通られたときに、明日炊く米がないなかを、『世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある』と子たちを励ましながら通られたというお話があります。私はそれを聞いて知っているけれども、実際にその状況になったことがないので、どれだけ有難いことなのか実感はありません。奥さんは、水も喉を越さない状況で長い間過ごされましたが、初めて物が通った瞬間はどうでしたか?」 すると、その方の顔色が変わって、「そら、美味しかったよ」と。  「そんなに美味しかったですか」「あんなに美味しいと思ったことはなかった」と、先ほどまでの涙とは反対の、うれし涙で話されました。私が「奥さん、それをお子さんにお伝えになったらどうでしょう」と言うと、「良い話を聞かせていただいた」と喜ばれました。 これは心の向きが変わったということですね。心がたすかったということなのです。来るときは悲しくて苦しくてたまらなかったのに、おさづけを受けて、帰るときは笑顔でニコニコと帰られました。 つらいこと、苦しいこと、悲しいことは、わざわざ数えなくてもつらいし、苦しいし、悲しい。それは誰しも分かっているのです。この女性が、水が喉を越した喜びを感じたときにうれしくて泣けたように、私たちも数えてみれば、ご守護をいっぱい頂いています。そのご守護を喜ぶ心になったとき、実は体もたすかっていくのです。 (終)

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