秦朝は、中国史上初めて天下統一した王朝である。
中国を統一した始皇帝は、中央集権化を進めるために様々な政策を行った。統治のための政策として郡県制が行われ、全国を36郡(のちに48郡)に分け、郡の下に県を置き、皇帝直属の官吏を派遣し統治させた。その他に、軍事を担当する大尉、官吏を監察する御史大夫を任命した。
また、度量衡の統一や小篆という文字利用、阿房宮の造営なども行った。
それまでに前例のなかった全く新しい改革を次々に行った始皇帝だったが、反発も大きいものとなった。
始皇帝が行った改革で有名なのは「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」ではないだろうか。
始皇帝は国民の思想や言論の自由までを奪い、厳しい規制を敷いた。「坑儒」とは儒学者を生きたまま生き埋めにするという残酷な刑罰だった。
始皇帝は儒教家が国民の思想に与える影響を恐れたのだ。儒者が国民に水面下で教えを説き、国に対する不満や怒りを募らせ、反乱を起こすことを防ぐという目的があったと思われる。
そのため、多くの儒学者が犠牲となったのである。ある記録によれば、460人もの儒教者が一度に生き埋めにされたと伝えられている。
このように、始皇帝が行った政策は非常に過酷なものも多かった。
では、秦時代の刑罰は具体的にどのようなものがあったのだろうか。
草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/chinese/67157/
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