ホーム
ホーム
ポッドキャスト
ポッドキャスト
ライブラリ
キャンセル
サインイン
「聞く歴史、雑学」草の実堂
草の実堂
フォロー
字を読むと目が疲れる方のために、「草の実堂」の記事をデジタルボイス化しました。 「草の実堂」は歴史を中心とした色々なものを調べる雑学メディアです。 https://kusanomido.com/
read less
歴史
歴史
始める
昨日
【女子中学生36名はなぜ溺死したのか】 橋北中学校水難事件 ~心霊現象説の真相とは
1955年7月28日、三重県津市の中河原海岸で前代未聞の悲劇が起きた。同海岸で泳いでいた女子中学生36名が、瞬く間に海にのまれて溺死してしまったのだ。 死亡した女子中学生たちは皆、毎年の恒例となっていた水泳訓練に参加していた生徒たちだった。当時はプールが備え付けられていない学校がほとんどで、公立校が海で水泳訓練を行うことは珍しいことではなかった。 この悲惨な水難事故は当時全国的に報道され、一部では「心霊現象説」まで囁かれた。その内容は、この事故が起きるちょうど10年前の1945年7月28日の空襲で亡くなった霊が、女生徒たちを海中に引きずり込んだというものだった。 事故当時の天気は快晴で、風も波も穏やかだった。この上なく海水浴に適していたはずの遠浅の中河原海岸で、なぜ多くの死亡者と負傷者を生む水難事故が起こってしまったのだろうか。 今回は、海の恐ろしさを日本中に知らしめた「橋北中学校水難事件」について解説したい。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/life/jiken/92203/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
エピソード
昨日
【女子中学生36名はなぜ溺死したのか】 橋北中学校水難事件 ~心霊現象説の真相とは
1955年7月28日、三重県津市の中河原海岸で前代未聞の悲劇が起きた。同海岸で泳いでいた女子中学生36名が、瞬く間に海にのまれて溺死してしまったのだ。 死亡した女子中学生たちは皆、毎年の恒例となっていた水泳訓練に参加していた生徒たちだった。当時はプールが備え付けられていない学校がほとんどで、公立校が海で水泳訓練を行うことは珍しいことではなかった。 この悲惨な水難事故は当時全国的に報道され、一部では「心霊現象説」まで囁かれた。その内容は、この事故が起きるちょうど10年前の1945年7月28日の空襲で亡くなった霊が、女生徒たちを海中に引きずり込んだというものだった。 事故当時の天気は快晴で、風も波も穏やかだった。この上なく海水浴に適していたはずの遠浅の中河原海岸で、なぜ多くの死亡者と負傷者を生む水難事故が起こってしまったのだろうか。 今回は、海の恐ろしさを日本中に知らしめた「橋北中学校水難事件」について解説したい。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/life/jiken/92203/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
2日前
【昔の方が過激だった】戦前の少女による犯罪 ~毒殺、子殺し、男子と決闘、女学生の桃色遊戯
青少年による凶悪事件が起こるたびに「昔の方がもっとモラルがあった」といった、昔を美化する声を耳にすることがあります。 しかし、戦前の少年犯罪は実は過激なものが多く、小学生が猟銃をぶっ放す、幼児が乳児を殺害、親殺し、猟奇殺人、心中、となんでもありで、いじめによる自殺や援助交際なども、すでに当時からありました。 管賀江留郎氏の著者『戦前の少年犯罪』は、戦前の新聞記事を丹念に調べ上げた少年犯罪の実例集です。 今回は氏の著書と、WEBサイト『少年犯罪データベース』から、戦前の少女による犯罪をいくつか取り上げてみたいと思います。(少年犯罪については、また別の機会に取り上げます) 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/93333/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
3日前
『日本初のミスコン1位』 明治の美少女・末弘ヒロ子 「私本当に困ります…学校強制退学」
ミス・コンテスト、略して「ミスコン」とは、その名の通り独身女性を対象として容姿を競うイベントであり、世界各国で開催されている。近年では水着での審査や、容姿に基づくランク付けが女性差別につながるなど、いくつか問題点も指摘されている。その歴史は古く、日本においては明治24年の「東京百美人」が最初とされている。ただしこの「東京百美人」は、あくまで参加した芸者100人で行われたイベントであり、一般女性を対象とした最も早いミス・コンテストは、明治41年に開催された「世界美人コンクール」の日本予選である「全国美人写真審査」である。この日本初の一般女性を対象とした全国ミスコンでは、学習院女学部に通う福岡県小倉市長(末弘直方)令嬢・末弘ヒロ子(当時16歳)が、日本一となった。しかし、ヒロ子は日本一になったことで学校を退学させられてしまう。そこには当時の女性の社会的な位置などの問題があった。この美人写真コンテストをめぐって、一体何が起きていたのだろうか? 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/bakumatu/86057/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
3日前
【芸妓からアメリカの大富豪の妻へ】モルガンお雪 ~明治のシンデレラの生涯
明治時代、アメリカの大富豪モルガン財閥創始者の甥と結婚し、海を渡り、波瀾万丈な生涯を送った祇園の芸妓がいた。 その名はモルガンお雪、本名を加藤ユキと言う。 彼女は異国の玉の輿に乗り、夢のような生活を送るかに見えたが、実際には数々の困難や偏見に立ち向かわなければならなかった。母国である日本では『金に目がくらんだ売女』などと罵られ、アメリカでは『有色人種の異教徒』などと差別された。 そんな明治のシンデレラ、モルガンお雪の生涯とはどのようなものだったのだろうか。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/88412/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
4日前
鬼の助産婦・石川ミユキ 「赤子を100人近く殺害した寿産院事件とは」
昭和23年(1948)1月、東京都新宿区の助産院・寿産院(ことぶきさんいん)において、何人もの幼い子どもが殺害され、子どもの養育料の横領、配給品の横流しが行われていたことが発覚した。 主犯は寿産院の助産婦・石川ミユキであり、横領によって巨額の利益を手に入れていた。 事件の背景には、戦争の影響により生まれた社会問題があったという。 今回は、この寿産院事件(ことぶきさんいんじけん)について追求する。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/life/jiken/78022/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
1週間前
『明治にバズった現代風美人』 洗い髪のお妻(安達ツギ) 〜女好きの伊藤博文もフラれる
明治時代初期の日本では、写真技術の普及により美人の写真を撮ることが流行した。 その中で有名な女性と言えば「鹿鳴館の華」と呼ばれた陸奥亮子。「牡丹や百合の花の妍を奪うほどの美しさ」と称され、多くの偉人を魅了した江良加代。日本初のミスコン「全国美人審査」おいて一位に輝いた末弘ヒロ子などが挙げられる。 そして今回紹介する安達ツギは、芸者日本一を決める「東京百美人」において大いに注目された女性である。 当時は女性が髪を結わないまま人前に出ることはありえないと言われる中、まさかの濡髪にてコンテスト会場に向かい、その美貌と大胆さから優勝者以上に話題をさらった「洗い髪のおつま」こと安達ツギについてご紹介していこう。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/life/love/86638/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
06-09-2024
【日本最古の仏像】 飛鳥大仏はなぜ国宝になれないのか?
奈良県高市郡明日香村に位置する飛鳥寺は、日本最古の古刹(こさつ)として名高い。(※古刹とは古い寺、由緒ある寺のこと) その飛鳥寺には、日本最古の釈迦如来像が本堂に安置されている。 この釈迦如来像は「飛鳥大仏」とも呼ばれ、東大寺の大仏には及ばないものの、「大仏」と称されるにふさわしい大きさを持つ仏像である。 飛鳥寺の前身である法興寺創建時に本尊として造立された釈迦如来像は、飛鳥時代から令和の時代に至るまで、その姿を変えずに安置されてきたわけではない。 蘇我氏の氏寺として創建された法興寺は、蘇我氏の滅亡や都の遷都とともに衰退し、釈迦如来像も放置されることとなった。 江戸時代には寺の復興が行われ、飛鳥寺として再興された。その際、放置されていた釈迦如来像も修復され、現在の姿に至っている。 本記事では、飛鳥寺に安置されている飛鳥大仏とその歴史について解説する。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/asuka/90417/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
04-09-2024
『三国時代のナルシスト』 何晏が作り出した危険な快楽 「五石散」とは
古代中国の「薬物王」何晏とは 古代中国でも、現代の薬物に似た薬物が存在し、社会に大きな影響を与えた時代があった。その一例が三国時代である。 その薬物は「五石散(ごせきさん)」という向精神薬で、何晏(かあん)という人物が生み出したとされている。(※後漢末期には既に流通していたという説もある) 何晏は三国時代に生きた美男子であり、その容姿端麗さは「傅粉何郎」として知られていた。 彼の生母である尹氏は、後に曹操の妾となり、何晏は曹操の家庭で育った。さらに彼の祖父は、後漢末期に大将軍を務めた何進であり、何晏は極めて恵まれた環境で育ったのである。 何晏は容姿端麗の上に非常に賢くカリスマ性があった。曹操からも気に入られ、後に曹操の娘を妻に迎えている。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/chinese/sangoku/90354/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
03-09-2024
【女湯のぞきを注意され激昂】 小田原一家5人殺害事件 ~犯人は出所後13歳少女と同棲し再犯
1949年(昭和24年)、小田原の風呂屋で、一家5人が惨殺される事件が起きました。犯人は当時18歳だった少年Sこと、杉山優。 杉山は殺人罪で死刑となりますが、判決を言い渡したのは、朝ドラ「虎に翼」の主人公モデル三淵嘉子の夫、三淵乾太郎(けんたろう)裁判長でした。 死刑反対論者の三淵は、拘置所の杉山に私人として面会し、控訴するように説得しています。 死刑判決は覆ることがなかったものの、恩赦による減刑に恵まれ、仮出所も叶った杉山でしたが、最後は獄中へと戻っています。 二転三転した杉山の人生とは、どのようなものだったのでしょうか? 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/92070/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
02-09-2024
織田信長を裏切った家臣たち 「明智光秀、松永久秀、織田信勝、荒木村重 ~他」
織田信長の家臣団といえば、羽柴(豊臣)秀吉をはじめとする有名な武将が多数名を連ねている。信長の苛烈な性格にも負けず、手柄を競い合った彼らであったが、すべての者がついていけるわけではなかった。信長は多くの裏切りに直面し、許した者に再び裏切られることもあった。今回は、信長を裏切った家臣たちについて紹介する。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/90900/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
30-08-2024
日本一の美人芸妓・萬龍の波乱の生涯 「美しすぎて小学校が通学拒絶?」
明治時代の終わり頃、「日本一の美人」と称された萬龍(まんりゅう)という芸妓がいた。その名は「酒は正宗、芸者は萬龍」という流行歌が生まれるほど、広く知られていたという。彼女は雑誌『文芸倶楽部』が主催した芸妓の人気投票「日本百美人」で9万票を得て第1位となり、絵葉書美人としても大変な人気を博した。箱根で洪水に遭遇した際、東京帝国大学(現・東京大学)の学生に救われたことをきっかけに、その学生と結ばれる。しかし、このロマンスは短命に終わり、学生は程なくして他界してしまう。この記事では、波乱に満ちた万龍の生涯を詳しく紐解いていく。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/bakumatu/90348/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
30-08-2024
【安達ヶ原の鬼婆伝説】 鬼婆が妊婦の腹を引き裂くと…「自分の娘と孫だった」
日本各地に伝わる「鬼婆」伝説は、昔から多くの人々に語り継がれています。鬼のような恐ろしい顔つきの老婆が、鬼畜のような行為を繰り広げるこれらの物語は、耳を塞ぎたくなるほど恐ろしいものばかりです。それでもなお、これらの伝説が長年にわたって現代まで語り継がれているのは、単なる昔話ではなく、その背後に深い事情や悲哀が隠されているからかもしれません。さらに、伝説の地には鬼婆が使用したとされる道具が祀られていたり、墓が存在したりと、ただの怖い作り話とは思えないほどのリアリティがある点も、人々を引きつける理由の一つでしょう。以前、「999人の旅人を殺し1000人目は自分の娘だった」という東京下町に伝わる「浅茅ヶ腹の鬼婆伝説」をご紹介しました。今回は、現在の福島県二本松市に伝わる「奥州安達ヶ原の鬼婆伝説」をご紹介します。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/90161/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
28-08-2024
織田信長の11人の息子たちの末路 ~ 「本能寺の変」以後どうなったのか?
織田信長には11人の息子がいたという。 彼らは信長が「本能寺の変」で死去した後、どのような運命を辿ったのだろうか。 今回は、信長の11人の息子たちの生涯を振り返り、その末路を探ってみる。 長男・織田信忠は「正当なる織田家の後継者」 次男・織田信雄の「苦悩の人生」 三男・織田(神戸)信孝の「兄弟の争いが招いた悲劇」 四男・羽柴秀勝は「秀吉の養子」 五男・織田勝長は「武田家の人質」 六男・織田信秀は「キリシタン」 七男・織田信高は「徳川幕府の高家」 八男・織田信吉は「関ヶ原の戦いで改易」 九男・織田信貞は「秀吉の馬廻衆」 十男・織田信好は「謎多き茶人」 十一男・織田長次は「兄と共に戦場へ」 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/92160/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
25-08-2024
【光る君へ】藤原定子と一条天皇の第一皇女・脩子内親王(井上明香里)とはどんな女性?
一条天皇の第一皇女 脩子内親王(ながこないしんのう)井上 明香里(いのうえ・あかり) 一条天皇の第一皇女。母は藤原定子。 ※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。 一条天皇が最も愛した皇后・藤原定子。若くして先立った彼女との間には、二女一男を授かりました。 今回は、一条天皇の第一皇女である脩子内親王(しゅうし/ながこ)を紹介。 果たして彼女はどんな女性で、どんな生涯をたどったのでしょうか。 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/hikarukimie/93180/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
23-08-2024
【999人が犠牲に】極悪非道な浅茅ヶ原の鬼婆伝説 「千人目は美しい自分の娘」
日本には、昔から全国各地に恐ろしくも不思議な「鬼婆」の伝説があります。 鬼婆といえば、恐ろしい形相をして人間とは思えない残酷な所業を繰り返す話が多いものです。しかし、鬼婆の物語はただ怪奇で恐ろしいだけではありません。彼女たちが鬼婆と化してしまった事情や、鬼畜な所業を繰り返した末に迎える哀しい結末など、複雑な感情を抱かせるストーリーが多く存在します。 今回は、そんな鬼婆伝説の中から、「999人もの旅人の頭を石で叩き割って殺した」という、東京下町に伝わる「浅茅ヶ原(あさぢがはら)の鬼婆」をご紹介しましょう。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/asuka/88068/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
21-08-2024
戦国の覇王・織田信長の素顔 「身長166~169cm、早起きで綺麗好き、相撲好き」
強烈なカリスマ性で「戦国の覇王」と呼ばれ、様々なアイデアで数々の戦で勝利をあげて天下人まであと一歩のところまで迫った織田信長。 信長は「荒くれ者」「冷酷非情な男」「人の意見を聞かない独断的なリーダー」など、かなり怖い人物というイメージがあるが、実際に信長に何度も会っている宣教師・ルイス・フロイスは「時々激昂したが平素はそうでもなかった」と書いている。 戦国の覇王と呼ばれた織田信長は、普段どんな男だったのか?その素顔について掘り下げていきたい。 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/77165/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
09-08-2024
織田信長が比叡山を焼き討ちした理由と新説 「織田信長は、仏教勢力を敵視していたのか? 「比叡山を焼き討ちした理由と新説」」
織田信長は、日本の歴史において革新的かつ過激な行動で知られた戦国武将である。 信長の過激な行動として最も有名なのは、1571年(元亀2年)に行われた「比叡山の焼き討ち」であろう。 そのため、信長は仏教勢力を敵視していたというイメージが強い。 本記事では、信長と仏教勢力の関係について詳しく探る。 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/63368/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
06-08-2024
「秀吉のあだ名はサルではなかった?」 織田信長の光るネーミングセンスとは
織田信長といえば、日本人なら誰でも知っている戦国武将を代表する人物である。 彼は青年期から常識外れのファッションを好み、常に周囲とは異なる行動を取る革新者であった。そんな信長には、もうひとつキラリと光る才能があった。 それは「ネーミングセンス」である。 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/89694/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
02-08-2024
織田信長に仕えた黒人・弥助は武士か否か?その生涯
織田信長に仕えた黒人・弥助(やすけ)。 天正9年(1581年)2月23日に信長と謁見してから、翌天正10年(1582年)6月2日に起こった本能寺の変で信長が横死を遂げるまで、1年余にわたって奉公しました。 そんな弥助は、数百年の歳月を越えて様々なメディア作品に取り上げられ、時に話題を呼んでいます。 弥助は武士なのか?それとも武士ではないのか? 正直どっちでもいいと思いますが、人々の興味は尽きないようで、現代でも議論が続いているようです。 皆さんは、弥助が武士だと思いますか?それとも召使い(非武士)だと思いますか? 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/91698/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く
31-07-2024
織田信長の最強の家臣団の仕組み 「実力主義で選ばれた武将たち」
織田信長の家臣団は、歴史好きでなくても知っているような、錚々たるメンバーである。 しかし、詳しく見ると、信長の家臣団はいくつかに分類することができる。信長の家臣団は一体どのような分類がされていて、どんなメンバーがいたのだろうか。 特に、本能寺の変の直前には、最強の家臣団が揃っていたと考えられる。 ここでは本能寺の変の直前における、織田軍の内訳を紹介する。 草の実堂の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/91322/ web : https://kusanomido.com/ X : https://x.com/kusanomido Audible で聴くYoutube で聴くSpotify で聴くAmazon music で聴く