「聞く歴史、雑学」草の実堂

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『明治にバズった現代風美人』 洗い髪のお妻(安達ツギ) 〜女好きの伊藤博文もフラれる
今日
『明治にバズった現代風美人』 洗い髪のお妻(安達ツギ) 〜女好きの伊藤博文もフラれる
明治時代初期の日本では、写真技術の普及により美人の写真を撮ることが流行した。 その中で有名な女性と言えば「鹿鳴館の華」と呼ばれた陸奥亮子。「牡丹や百合の花の妍を奪うほどの美しさ」と称され、多くの偉人を魅了した江良加代。日本初のミスコン「全国美人審査」おいて一位に輝いた末弘ヒロ子などが挙げられる。 そして今回紹介する安達ツギは、芸者日本一を決める「東京百美人」において大いに注目された女性である。 当時は女性が髪を結わないまま人前に出ることはありえないと言われる中、まさかの濡髪にてコンテスト会場に向かい、その美貌と大胆さから優勝者以上に話題をさらった「洗い髪のおつま」こと安達ツギについてご紹介していこう。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/life/love/86638/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
【日本最古の仏像】 飛鳥大仏はなぜ国宝になれないのか?
昨日
【日本最古の仏像】 飛鳥大仏はなぜ国宝になれないのか?
奈良県高市郡明日香村に位置する飛鳥寺は、日本最古の古刹(こさつ)として名高い。(※古刹とは古い寺、由緒ある寺のこと) その飛鳥寺には、日本最古の釈迦如来像が本堂に安置されている。 この釈迦如来像は「飛鳥大仏」とも呼ばれ、東大寺の大仏には及ばないものの、「大仏」と称されるにふさわしい大きさを持つ仏像である。 飛鳥寺の前身である法興寺創建時に本尊として造立された釈迦如来像は、飛鳥時代から令和の時代に至るまで、その姿を変えずに安置されてきたわけではない。 蘇我氏の氏寺として創建された法興寺は、蘇我氏の滅亡や都の遷都とともに衰退し、釈迦如来像も放置されることとなった。 江戸時代には寺の復興が行われ、飛鳥寺として再興された。その際、放置されていた釈迦如来像も修復され、現在の姿に至っている。 本記事では、飛鳥寺に安置されている飛鳥大仏とその歴史について解説する。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/asuka/90417/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
『三国時代のナルシスト』 何晏が作り出した危険な快楽 「五石散」とは
3日前
『三国時代のナルシスト』 何晏が作り出した危険な快楽 「五石散」とは
古代中国の「薬物王」何晏とは 古代中国でも、現代の薬物に似た薬物が存在し、社会に大きな影響を与えた時代があった。その一例が三国時代である。 その薬物は「五石散(ごせきさん)」という向精神薬で、何晏(かあん)という人物が生み出したとされている。(※後漢末期には既に流通していたという説もある) 何晏は三国時代に生きた美男子であり、その容姿端麗さは「傅粉何郎」として知られていた。 彼の生母である尹氏は、後に曹操の妾となり、何晏は曹操の家庭で育った。さらに彼の祖父は、後漢末期に大将軍を務めた何進であり、何晏は極めて恵まれた環境で育ったのである。 何晏は容姿端麗の上に非常に賢くカリスマ性があった。曹操からも気に入られ、後に曹操の娘を妻に迎えている。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/chinese/sangoku/90354/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
【女湯のぞきを注意され激昂】 小田原一家5人殺害事件 ~犯人は出所後13歳少女と同棲し再犯
4日前
【女湯のぞきを注意され激昂】 小田原一家5人殺害事件 ~犯人は出所後13歳少女と同棲し再犯
1949年(昭和24年)、小田原の風呂屋で、一家5人が惨殺される事件が起きました。犯人は当時18歳だった少年Sこと、杉山優。 杉山は殺人罪で死刑となりますが、判決を言い渡したのは、朝ドラ「虎に翼」の主人公モデル三淵嘉子の夫、三淵乾太郎(けんたろう)裁判長でした。 死刑反対論者の三淵は、拘置所の杉山に私人として面会し、控訴するように説得しています。 死刑判決は覆ることがなかったものの、恩赦による減刑に恵まれ、仮出所も叶った杉山でしたが、最後は獄中へと戻っています。 二転三転した杉山の人生とは、どのようなものだったのでしょうか? 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/92070/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
日本一の美人芸妓・萬龍の波乱の生涯 「美しすぎて小学校が通学拒絶?」
30-08-2024
日本一の美人芸妓・萬龍の波乱の生涯 「美しすぎて小学校が通学拒絶?」
明治時代の終わり頃、「日本一の美人」と称された萬龍(まんりゅう)という芸妓がいた。その名は「酒は正宗、芸者は萬龍」という流行歌が生まれるほど、広く知られていたという。彼女は雑誌『文芸倶楽部』が主催した芸妓の人気投票「日本百美人」で9万票を得て第1位となり、絵葉書美人としても大変な人気を博した。箱根で洪水に遭遇した際、東京帝国大学(現・東京大学)の学生に救われたことをきっかけに、その学生と結ばれる。しかし、このロマンスは短命に終わり、学生は程なくして他界してしまう。この記事では、波乱に満ちた万龍の生涯を詳しく紐解いていく。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/bakumatu/90348/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
【安達ヶ原の鬼婆伝説】 鬼婆が妊婦の腹を引き裂くと…「自分の娘と孫だった」
30-08-2024
【安達ヶ原の鬼婆伝説】 鬼婆が妊婦の腹を引き裂くと…「自分の娘と孫だった」
日本各地に伝わる「鬼婆」伝説は、昔から多くの人々に語り継がれています。鬼のような恐ろしい顔つきの老婆が、鬼畜のような行為を繰り広げるこれらの物語は、耳を塞ぎたくなるほど恐ろしいものばかりです。それでもなお、これらの伝説が長年にわたって現代まで語り継がれているのは、単なる昔話ではなく、その背後に深い事情や悲哀が隠されているからかもしれません。さらに、伝説の地には鬼婆が使用したとされる道具が祀られていたり、墓が存在したりと、ただの怖い作り話とは思えないほどのリアリティがある点も、人々を引きつける理由の一つでしょう。以前、「999人の旅人を殺し1000人目は自分の娘だった」という東京下町に伝わる「浅茅ヶ腹の鬼婆伝説」をご紹介しました。今回は、現在の福島県二本松市に伝わる「奥州安達ヶ原の鬼婆伝説」をご紹介します。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/90161/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く
織田信長の11人の息子たちの末路 ~ 「本能寺の変」以後どうなったのか?
28-08-2024
織田信長の11人の息子たちの末路 ~ 「本能寺の変」以後どうなったのか?
織田信長には11人の息子がいたという。 彼らは信長が「本能寺の変」で死去した後、どのような運命を辿ったのだろうか。 今回は、信長の11人の息子たちの生涯を振り返り、その末路を探ってみる。 長男・織田信忠は「正当なる織田家の後継者」 次男・織田信雄の「苦悩の人生」 三男・織田(神戸)信孝の「兄弟の争いが招いた悲劇」 四男・羽柴秀勝は「秀吉の養子」 五男・織田勝長は「武田家の人質」 六男・織田信秀は「キリシタン」 七男・織田信高は「徳川幕府の高家」 八男・織田信吉は「関ヶ原の戦いで改易」 九男・織田信貞は「秀吉の馬廻衆」 十男・織田信好は「謎多き茶人」 十一男・織田長次は「兄と共に戦場へ」 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠草の実堂⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠の元記事→ https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/92160/ web : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kusanomido.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ X : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kusanomido⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Audible ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Youtube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Spotify ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠で聴く⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Amazon music⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ で聴く