今回は“呼ばれる”ってどういう事?という話題から、“執着は重いよ・・・”という幅広い展開のお話になりました。 よく“神社に呼ばれた・・・”という言い方を耳にしたりします。 私も“呼ばれたから買った”という言い回しを使ったりします。 この時の“呼ばれる”という意味は“ご縁があった”そういう事なのだと思います。 その逆に“呼ばれない”事もある訳で。 どうしてもたどり着けないとか、どうしても会えないとか。 そういう時は、大いなる存在からの“今じゃないんだよ”というメッセージなのだと私は思っています。 しかしそこで、“どうしても今じゃないといけないのに!!”となってしまうとそれが執着になってしまいます。 私たち人間の考える“~せねばならない”というような決まり事は、私たちの小さな頭の中で考えたルールがもとになっています。 そのルールも国が違ったり時代が変われば変化してしまうような曖昧なもの。 “どうしても、今じゃないと!”というようなこだわりを手放せないと、生きづらさに繋がってしまうと私は思うのです。 私たちの小さな頭では宇宙の壮大な計画は理解できないものかもしれません。 だとしたら、縁がないと感じたら、それは宇宙からのメッセージと捉えたほうが何倍も楽です。 そして、長い目でみたら”縁がない“と感じた状況で結果良かったと思えるのかもしれません。 本当に大切な事ってきっと自然にしている事。 “~せねばならない”と思っている事ほど、本当はやってもやらなくてもよいものなのかもしれません。 “ねばならない”は執着です。 そんなエネルギーの重い執着は手放して、身軽になって風の時代の波に乗って行こうよ・・・ そんなお話をさせて頂きました。
魔女とカメレオン
二万年生きている魔女で占い師のまほさんと、自由人で何でも屋のうえちゃん