安曇野の松川村のお寺、観松院には銅像菩薩半跏像という仏像があります。
この仏像は6世紀の後半から7世紀の初め頃、百済で作られ日本に持ち込まれたとみられるものです。
持ち込んだのは志賀の島を拠点に活躍していた安曇族だ、という説を展開しているのは安曇野の「ちひろ美術館」常任顧問の松本猛さん。
松本さんは、磐井の乱がきっかけで安曇族が九州から日本海沿いに北上し、新潟県糸魚川あたりから仏像をもって安曇野へ入ったのではないか、と見ていらっしゃるのです。
※左の仏像が観松院のもの。右は対馬の仏像。
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