この短章の冒頭にある「一粒の蓮の実を長く隠しておくことだよ」は、鮎川信夫さんの言葉です。永瀬さんは、17歳から詩を書きはじめ、詩という「一粒の蓮の実」を育てていました。そしてそれはすぐに実るような簡単な願いではありませんでした。その頃、短歌や俳句は女性の教養として認められていたのに、詩はそうではありません。出発点からして困難な道を選んでいたのです。50代の永瀬さんは、「詩人は何を報われるのか/だんだん年齢と共に困難をますその仕事のために何を努力するのか」と悩んでいました。この悩みに応えてくれたのは時間です。つまり、永瀬さんにとっては書き続けていくことでした。「一粒の蓮の実」は、永瀬さんが75歳の時に発表しています。体が不自由になってしまった夫と生活を支えながら、新聞や雑誌などに寄稿し、世界連邦運動、岡山女性史研究会、詩画展、講演、朗読会などで、非常に忙しい毎日でした。「一粒の蓮の実」では、「ある朝ふと眼がさめ、南の風に蓮の花のあやしくあまい匂いを嗅ぐ時」とタゴールの詩を引用しています。これは、永瀬さんが十代の頃に読んだ『ギタンジャリ』という詩集からで、最晩年になっても「最も好きな詩集の一つ」でした。「一粒の蓮の実」は、いつかきっとという気持ちを持ち続けることのすばらしさや、「時がほんの少しずつ達成していく事」、つまり「老いること」の意味や価値を、永瀬さんご自身の生き方とともに教えてくれます。<文・白根直子>