17冊の第3回目ということで「日本の曖昧力」を「もののけ姫」を通して話していきます。
そもそも「もののけ姫」とは?
1997年にスタジオジブリから発表された映画で、自然と人間の関係をテーマとしています。
前回までお話していたように、縄文時代的なあり方が今の日本の根底にあり、
それが描かれている作品でもありますで、今回扱うことになりました。
「もののけ姫」の舞台は室町時代。
縄文時代的な文化と近代的な文化がぶつかった時代であると、宮崎駿さんはお考えのようです。
縄文時代的な象徴をアシタカが、エボシ御前が近代的な文化を象徴しているとされています。
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アワノさんからの解説が始まろうとするや否や、
いつものごとくホシノによる横やり横道ストーリーが始まります。
ポイントは映画の締めにアシタカが放つこの言葉。
「会いに来るよ、ヤックルに乗って」
ここに今の時代への解を見た感じがした、とホシノ。
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詳しいところは本編を聞いていただくとして、
キーになるのはアシタカの存在です。
映画中、最後まで彼は中途半端な存在として居続けるのです。
このどっちつかずな態度。
ここになんとなく日本人らしさを感じたりはしないでしょうか。
ふと話しながら思い立ち、アシタカの描かれ方にも触れてみました。
呪いを受け、自分の意思に反して故郷を離れ旅立つことになり、
サンとエボシ御前たちの諍いに巻き込まれていく。
なかなかに受動的な描かれ方をしているようにも見えます。
ただし、それが故に二つの勢力を繋ぐ存在にもなり得る。
どっちつかずの曖昧な存在こそが、異文化の間に橋を架けられる。
そんなメッセージも感じてしまいます。
さて、近年一気に近代化を進めてきた日本ですが、
その根底には近代化とは対極にある縄文的な精神性を保っているようです。
自然とのつながりや、神様のような存在とのつながりを感じる精神性です。
ここに世界の中での特殊性があり、これを曖昧力と呼んでいいのかもしれません。
ちなみにアワノさんは曖昧力超苦手。
昔から白黒はっきりつけて、行動してきたそうです。
対してホシノは超曖昧人生。
やれと言われたことも極力放置して生きてきています。
思えば、よくこの二人で番組を続けていられるなぁと思う次第。
…いや、この二人だから続けていられる、ともいえるのかもですね。
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