#12 「オー・ヨーコ!」最高!by 小木博明(おぎやはぎ)

西寺郷太の最高!ファンクラブ

27-07-2021 • 1時間 14分

お笑いコンビ・おぎやはぎの小木博明さんを迎えて、マイケル・ジャクソンの東京ドーム公演の当時のブームに対して自分の気持ちとの葛藤&圧倒的な演出のバトルの末、演出の衝撃でスパークした?!、生涯の思い出楽曲ベスト3を挙げてもらい、楽曲と小木さんのヒストリーを紐解いていきます。おぎではなく、こぎだった?!オー・マーティー!からのオー・ヨーコ!とは?爆笑!最高!の止まらないトークをお楽しみください。

西寺を「ゴータマン」と呼ぶ小木さん。そんな仲にも関わらず、ちゃんと初めまして!したのは、今年のことで音声SNSメディア・clubhouseでの会話や小木宅に訪れて話したばかり!西寺は、奥さん・小木奈歩さんと元々繋がっており、奥さんの奈歩さんきっかけで、小木さんと話すように。(奈歩さんは当日スタジオにも遊びに来てくれました!)奈歩さんが「ゴータマン、ゴータマン」と呼ぶのを聞いて、小木さんも「ゴータマン」と呼んでいるみたいです。ただ、この呼び名は小木夫婦のみの貴重な呼称。小木さんは、1971年8月16日生まれ、東京都・板橋区出身です。西寺の二つ上にあたります。プロダクション・人力舎やその周りのやついいちろうさんで色んな場所ですれ違ってはいたものの中々話す機会がなく、こうやって話し急接近したのはつい最近の出来事。

大ブームだったマイケル・ジャクソンを聴いてはいたものの、なぜか周りの人に聴いている自分をさらけ出せなかったことがあったよう。1983年の「スリラー」から見てはいたものの、お笑いのネタ(芸人が踊りをマイケルの真似をしていた)として捉えていたようです。小木さんが20代になって、車内で爆音で聴いていても、車が停車すると音を小さくしたり、マイケル・ジャクソンを聴いているオレを隠していたようです。1996年、大手レコードショップに勤めていたころ「MICHAEL JACKSON HIStory JAPAN TOUR 1996」の東京ドーム公演をひょんなことから上司に当日のチケットを渡され、仕方なく(?)観に行くことに。開場前に入場しテンションは上がらないまま、良席に着席。開演を待っていると暗転し湧き上がる会場、オープニング映像が映し出されスタートするものの、なかなか気分は上がらない小木さん。映し出された映像は、CGのジェットコースター。ジェットコースター(宇宙船)は、カウントダウンと共にすごいスピードでレールを走る。時代とともに過去から今へ近づいてきている演出になっており、ジェットコースターがレールの上にいき、遠くには・・・東京ドームを発見!!!その瞬間、小木さんは一気にブチ上がる。小木さんの気持ちがまだ整理できていないまま、スピードをあげて徐々に近づくジェットコースター。そして、マイケルを乗せたであろう宇宙船がステージに突き刺さっている!マイケルが、そこにいる!!!!!と、急に気持ちが昂る。煙がもくもくと上がる中宇宙船から出てきて、扉からマイケルが出た!!!!!その時に小木さんから口からでた言葉「…神だ。」後ろ姿のマイケルがこちらを振り向き、1曲目「Scream」が流れたら、そこまで最高潮の気持ちが急降下し、気持ちの昂りは最初だけだったよう。ただその帰り、自宅で改めてマイケル・ジャクソンの凄さをひしひしと感じたようです。外タレは、東京ドーム公演のものしか行かない小木さん。東京ドームの柿落とし、ミック・ジャガーにも行ったようです。

兄が2人いて、兄の聴いているレコードをずっと聴いていて音楽が自然と入ってきたよう。ザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズサイモン&ガーファンクルも兄の影響で好きになったようです。

「生涯最高ソング・ベスト3」の1曲目は、ポール・マッカートニー&ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」。小木さんの父親は福井出身で、夏になると車で帰省する際、兄が作ったカセットテープが移動中は流れていて、田舎道を走るときにこの音楽を聴いていた思い出があるようです。その実家でのエピソードと楽曲がリンクしており、小木さんのお父さんは「是清(これきよ)」のはずが、福井に帰ると親戚から「キヨシさん」、「コギさん」と呼ばれていて不思議に思った小木さん。東京から福井に上京してきたときに名前を変え、苗字を「オギ」に変更したようです・・・!「バンド・オン・ザ・ラン」の曲構成は、3部に展開されており、バラード・ロック・ポップソングで繋がっています。歌詞の内容は『刑務所から抜け出して逃げて逃げる為に走りまくる。そして、バンドは走りまくって(バンド・オン・ザ。ラン)振り切って見せる。そして裁判官は怒りだすだろう、でも、僕らは決して捕まらないぞ!』と、小木さんの父親が(こぎ・きよし)から(おぎ・これきよ)に改名し、東京へ逃げてきたとリンクしているそうです。

ここで、小木さんのプロフィールを簡単に。1971年8月16日生まれ、東京都・板橋区出身。奥さんは、森山奈歩さん。森山良子さんが義母。義弟は森山直太朗さん。高校卒業後は、社会人になり、某・大手遊園地を経て、旅行代理店に就職しハワイで滞在していたことも。大手遊園地で外国人ダンサーを一緒にしていたことにより、海外に憧れを持つように。帰国後は、大手レコード会社に、アメリカ本社への商品の手配などを担当していたようです。高校時代からの友人・矢作兼と「おぎやはぎ」を1995年に結成し芸能活動スタート。小木さんの周りにはボブが多いことも明らかに・・?!

次に紹介するのは、ジョン・レノン「オー・ヨーコ!」と素敵なエピソードを。付き合っていた彼女はいたものの、深入りはしない恋愛関係だった小木さん。21歳、初めての海外旅行で男3人でサイパンへ。そこで外国人の女性(タイと香港のハーフのオカッパのお女性)に一目惚れ!電話ボックスで電話をする彼女を見て、小木少年の心は掴まれてしまう…。翌日、サイパンの海でマーティーに出会う。そのマーティーはサイパンをよく知る男性で、フレンドリーで仲良くなり、その一目惚れした女の子を探すことに…その女の子を探しに街に繰り出して探しまわった結果、女性を発見!滞在していた数日間はずっと遊んでいたようです。帰国後も初めての遠距離、しかも、海外。公衆ボックスで電話して手紙までして愛を語り合っていたというドキドキする思い出も。そのときに「オー・ヨーコ!」を聞いて、この感情はまさにこれだ!とビビッときて、愛聴していたようです。半年続き、その間にはサイパンには行かなかったようで、自然消滅してしまった。4年後、すでに違う彼女と付き合っていた小木さんは再びサイパンへ(その彼女も一緒に)。淡い期待を持ちながら、半年続いたハーフの女の子の働いていた近くのホテルに宿泊し、職場に駆け寄ったものの、彼女は既に帰国していたようです。次の目的は、マーティーへ。翌日、無人島・マニャガハ島へ行くことに。当時、ボートを乗るときの誘導をしていたマーティーが居るか楽しみにしていたが、姿は無く、マーティーのライバル・ウィーリーを発見。諦めてウィーリーと話しているところに・・・サイパンで生まれた「オー・ヨーコ!」物語は完結し、2000年・29歳の時、小木さんにとっての「オー・ヨーコ!」、奈歩さんに出会い、「オー・ヨーコ!」が「オー・ナホ!」と永遠になったようです。

最後に紹介するのは、サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」。こういう音楽が大好きで、自分自身を奮い立たせてくれるようです。切なさもあるけど、陽気なメロディが小木さんの好きな音楽であり、テンションを上げてくれる楽曲が好き傾向としてあります。高校生の時の彼女が、映画「レス・ザン・ゼロ」を勧められ、劇中歌のバングルス「冬の散歩道」で、自分の好きなものが繋がった瞬間があったようです。

小木さんのヒストリーを辿りながら、楽曲の思い出を語ってくれました。どの曲も小木さんを構成するのに、欠かせない3曲であり、まだまだ小木さんの人生には楽曲と共に物語がありそうです…またぜひ楽曲紹介とエピソードを語ってもらいたい!ぜひ来てほしい!次回もお楽しみに。

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