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あなたのいない夕暮れに -世界の名詩を新訳で

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「あなたのいない夕暮れに」は、世界の名作と呼ばれる詩を現代にあわせた新訳でお届けするボイスレターです。 文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣
エミリー・ディキンソン「月と星の灯りが 道を照らし」
こんにちは。   暮れゆく秋のため息が、街路樹を赤や黄色、橙(だいだい)に染めてゆきます。丘の上まで続く「いろは坂」も、カラフルな葉っぱのグラデーションに縁取られました。坂道のカーブの途中で振り返ると、深く色づいた町を一望できます。もう少し背が高かったら、あなたの町のいちょう並木も見つけられそうです。おかわりありませんか。   今日は、いろは坂をのぼりきったところにある、丘の上の喫茶店で手紙を書いています。   私の住む町は、アニメ映画の舞台になったことがあります。休日には、いろは坂や丘の上で、カメラをさげた映画のファンの方とよくすれ違います。この喫茶店は、多くの方が旅の羽休めに立ち寄る場所となっています。   「さあ、どうぞ」といつも開かれた扉に入ると、アニメの主人公がお世話になりそうな愛らしい雰囲気のおかみさんが出迎えてくれます。   テーブルの上には手書きの町歩きマップ、壁には映画のポスターが飾られています。棚には、原作漫画やノベライズ本、そして、訪れた人たちから贈られた手書きの絵なども並べられています。   2階の席は一面大きな窓ガラスで、丘の上をよく見渡せます。景色の真ん中にあるのは小さな円盤のバスロータリーで、盆栽のようによく手入れされた植え込みになっています。春は桜、夏にはセミの声、秋は紅葉、冬は雪に染まり、季節ごとにその装いをガラリと変えます。   ロータリーの周りを、車やタクシーが秒針のようにくるくると、そして、20分おきにバスが長針 のようにぐるーりと巡ります。丘の上のロータリーは、この町の時計のようなのです。 「次のバスが来るまで、本の続きを読もうかな」と20分タイマーが時を刻み始めたところで、おかみさんが頼んだコーヒーを持って来てくれました。そして「お客様からいただいたの。よかったら召し上がってね」とメニューにないおやつを出してもらえました。   常連さんや、ここを気に入った旅の方が、お土産を持って再び来られることが多いそうです。運がいいと、こうしてコーヒーにおともが付いて来るのです。今日は、お芋のパイでした。   ちなみに前回は、コーヒーゼリーでした。パフェグラスに乗せられた、ぷるぷるの黒いゼリーに、ほんのり甘いクリーム。時計盤から踊り出るように咲く桜を眺めながら、小さな銀のスプーンでひと口。それは、ほろ苦く甘く、混ざり合った黒と白が、互いに引き合うような濃密な味でした。これを機に「大人のそっけないデザート」というコーヒーゼリー観は、すっかり変わってしまいました。そして、食べものとも、一期一会があることを知りました。   帰り際に、差し入れてくださった方にお礼を言おうとしたのですが、「今、あのバスでお帰りになったところです!」と、ロータリー脇の停留所から、ちょうどバスが出発したところでした。   バスは、コーヒーゼリーの旅人を乗せ、桜吹雪の向こうへ、ゆっくりと消えてゆきました。   丘の時計の針は、どれほどの旅人を運んで来たのでしょう。   目を閉じて、時計の真ん中から、   旅する自分を眺めてみたくなる。   今日は、そんな詩を送ります。   > The Road was lit with Moon and star -   > The Trees were bright and still -   > Descried I - by the distant Light   > A Traveller on a Hill -   > To magic Perpendiculars   > Ascending, though Terrene -   > Unknown his shimmering ultimate -   > But he indorsed the sheen -   >    > 月と星の灯りが 道を照らし   > 木々はきらめき 佇んでいた   > 遥かな光のなか   > 丘の上に旅人がひとり   > 魔法にかけられたような急な坂道を   > 地を踏みしめ 登ってゆく   > 向かう先はゆらめき 果ては知れない   > ただ その光を感じながら   この町の丘を訪れるのは、人間だけではありません。   今年の夏には、新たな旅人の存在に気づきました。   毎年、夏の夜に「ワンワン!ワンワン!」と犬が一定のリズムで鳴くのです。ずっと犬の夜鳴きだと疑わなかったのですが、今年はふいに「あれは犬ではないのでは」という話になりました。   「次、鳴いたら、声の方へ行ってみよう」と待ち受け、ある夜、その時が来ました。濡れた髪でパジャマのまま、夜空に遠く響く声を辿り、できるだけ音を立てずに夏の夜を走りました。   声は、私たちを丘の上に抜ける竹やぶの通路へと誘(いざな)いました。息を潜め、耳を澄ますと、一本の大きな木の上から、「ワンワン!ワンワン!」とはっきり聞こえてきました。   調べてみると、声の主はアオバズクでした。アオバズクは、夏になると日本を訪れる旅の鳥です。   見上げた木に、アオバズクの姿を捉えることはできませんでした。ただ、木々の隙間に、白い三日月がぷかりと浮かんでいました。 あの月から見たら、私たちとアオバズクは、同じ木に佇んでいるように見えるだろうな。そう、アオバズクと自分を、遥か遠くから眺めた夜でした。   丘の上の時計が、月が、   今日も旅する者を、迎えては、見送っています。   長い目で見れば、私たちもみんな、   ある一時期、この世を訪れ、いずれ去る旅人です。   旅のあいだ、互いに、近づいたり、遠ざかったり。   時に、言葉を交わしたり、交わさなかったり。   でも、   出会わなかった出会いが、心にずっと残ることがあるのです。   外は、冷たい風が吹き始めたようです。   赤茶色の葉っぱが一枚、窓に張り付いて、ひらひらと手を振るように飛んでゆきました。   行く先は、冬でしょうか。   あなたが、暖かく過ごしていますように。   また手紙を書きます。   あなたのいない夕暮れに。   文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
11-11-2021
11分
エミリー・ディキンソン「心には いくつもの扉があって」
あなたへ こんばんは。 町が秋色に染まりゆく日々に、人恋しいような、ひとりでいたいような、振り子のように心揺れるのは、秋の空のせいでしょうか。おかわりありませんか。 夕方には、暗闇がますます濃くなり、西の空の一番星がいっそう輝きを増すようです。 秋の夕暮れに、どの星よりも早く、強く輝く金星を見つけると、友達の黒猫を思い出します。 10年ほど前のこの時期に、猫が苦手な友人が、猫と暮らし始めました。 もともと犬派を公言し、いつか行き場を失った犬を迎えたいと話していた彼女。猫のことを、嫌いというより不気味だと怖がって、黒猫が前を横切るだけで、縁起が悪いと騒いでいたこともありました。そんな彼女が、おとなの黒猫を迎えた時には、ちょっと信じられない気持ちでした。 猫を迎えてひと月ほど経った頃、彼女の家に遊びに行く機会がありました。新しい家族、黒猫のイクリプスに会えるのを楽しみにしていたのですが、会うことはできませんでした。 彼女の家に来た日からずっと、ベットの下から出て来なかったのです。 聞けば、多頭飼育がうまくいかなかった家の隅で、ひどく痩せ細り、うずくまっているところを保護されたそうです。警戒心が強く、保護されている間はゲージ奥のドーム型ベッドに篭り、誰にも姿を見せることはありませんでした。   ある日、彼女が施設を訪れ、ゲージの前を通りかかった時のことでした。何気なく奥を覗き込んでみると、かすかに「にゃあ」という鳴き声が。それが、彼女には「やあ」という言葉に聞こえたのだと言います。   それから、しばらく会いに通ったのち、スタッフの方に「ずっとゲージから出てこないかもしれない」と言われても、受け入れを申し出たそうです。 彼女の家に来て、ゲージを出たのはよかったものの、すぐベット下に姿を消したイクリプス。私が訪れた時、半分開いた扉の隙間から部屋を覗くと、ベットの下からじっとこちらを伺っているのが分かりました。 その姿は暗闇に溶け、金色の目だけが、夜空に浮かぶ2つの星のように鋭い光を放っていました。 扉が大きく開いて明かりが差し込むと、目の奥にある丸い瞳が、キュっと縦に細くなり、身構えるのが分かりました。でも、扉を完全に閉めてしまおうとすると、「にゃー」とひと鳴き。それはまるで「いやー」と言っているようで、「そこは開けておいて。ひとりにしないで」という言葉が、闇の奥から聞こえてくるようでした。 黒い瞳は、心の扉のように、開きかけては閉じ……を繰り返していました。 それでも彼女はイクリプスが来てから、夜よく眠れるようになったと言っていました。 いてくれるだけでいい、いつかここが安全な場所だと分かってもらえればいい、とも。 今日は、誰かに心を閉ざしたことも、閉ざされたこともある私たちに、 「こんな心持ちでいたらいい」という、ヒントになりそうな詩をおくります。 The Heart has many Doors ― I can but knock ― For any sweet "Come in" Impelled to hark ― Not saddened by repulse, Repast to me That somewhere, there exists, Supremacy ― 心には いくつもの扉があって 私は そっと扉をたたくだけ 「どうぞ」と やさしい答えを待ちながら じっと 耳を澄まして 扉を開けてくれなくても 大丈夫 心満たされるから そこに いてくれるだけで 大切なあなたが あれから、彼女とイクリプスに、いくつもの季節が訪れました。 徐々にベットの下から顔を出すようになり、扉の向こうから、じーっと彼女を観察し続けたイクリプス。数ヶ月経ったある日、台所に立つ彼女の足に、黒く滑らかな身体を寄せて来たそうです。 やがて、彼女の膝の上でお腹を出して眠るまでになりました。こっそり教えてもらったのですが、イクリプスのお腹は、輝くように真っ白なのだそうです。 黒い闇の扉は、密かにあたたかな白い光を抱いていたのでした。 相変わらず、私には姿を見せません。でも、お泊まりに行くと、闇夜にその気配を感じます。電気を消してしばらくすると動き出し、そのうち、おもちゃで遊びはじめ、家中を走り回ります。 そして、闇の中シュッシュッと横切る金色の目は、まるで2つの流れ星のようなのです。 彼女にそう言ってみると、「何か願っていいよ、2つ」とちょっと得意げな返事が返って来ました。不吉だなんて言っていたのは誰だっけ。流れ星2つ分の願いごとを考えながら、いつの間にか眠りにつきました。 翌朝、目を覚ますと、イクリプスのお気に入りのおもちゃが2つ、私の枕元に並べられていました。 開くか分からない扉を、そっとノックし続けた彼女。 でも、最初に「やあ」と彼女の扉をノックし開いたのは、イクリプスの方でした。 誰の心にもある「開かずの扉」。 「ほっといて」。 「ひとりでしないで」。 扉の向こうのかすかな声に、耳を澄ましながら。 また、手紙を書きます。 あなたのいない夕暮れに。
07-10-2021
9分
エミリー・ディキンソン「かなしみのように ひっそりと」
あなたへ こんにちは。夏の炎を吹き消すような、涼しい風が吹く季節になりました。おかわりありませんか。   思い出したように火照る日はまだありますが、燃え盛る夏の間には出来なかったことに、やっと手を伸ばしています。   今日は、海外に住む友人に手紙を出しました。エアメールを書くのは数十年ぶりで、宛名の書き方を思い出そうとしていたら、学生時代の色あせかけた記憶も一緒に引き出されてきました。   高校時代に、アメリカで寮暮らしをしていた時のことです。   車で1時間は走らないと町に出られない田舎町での日々に、日本から送られてくる荷物や手紙は、一番の楽しみでした。   毎日、カフェテリアで朝食が終わるころ、手紙や荷物が届いている人の名前が呼ばれます。名前を呼ばれた人は嬉しそうに取りに行き、呼ばれなかった人は羨ましそうにその様子を眺めます。   自分宛の手紙があった日は、そそくさと部屋に持ち帰り、ひと息つきます。そして、青と赤の縞模様に縁取られた封筒を丁寧に開くと、まずは一気に読み、それから一字一字ゆっくり読みます。すると、手紙の内容はもちろんですが、筆圧で出来た文字のでこぼこや、インクのにじみ、手の湿気で少しよれた、薄く柔らかな便箋そのものが愛しく感じられるのです。   あんなに待ち遠しく、嬉しかったエアメール。あの小鳥の羽のような便箋と封筒の生産を、今はもう終了したメーカーがあるそうです。電子の手紙にその居場所を譲っていたことを知った時は、とても残念で寂しく、同時に、ちょっと後ろめたい気持ちにもなりました。   それは、去りゆく季節への、惜別の感情に似ていました。   今日は、静かに去った夏に、残された者が想いをしたためた日記のような詩をおくります。   > As imperceptibly as Grief   > The Summer lapsed away-   > Too imperceptible at last   > To seem like Perfidy-   >    > A Quietness distilled   > As Twilight long begun,   > Or Nature spending with herself   > Sequestered Afternoon-   >    > The Dusk drew earlier in-   > The Morning foreign shone-   > A courteous, yet harrowing Grace,   > As GUEST, that would be gone-   >    > And thus, without a Wing   > Or service of a Keel   > Our Summer made her light escape   > Into the Beautiful.   >    > かなしみのように ひっそりと   > 夏は過ぎ去った   > 背を向けられたことに   > 最後まで 誰も気づかないほど   >    > 夜のとばりが ゆっくり降りるように   > 静けさの雫が にじみ出て来る   > 窓の外の午後は 誰に邪魔されることなく   > 静かに自然の時を刻む   >    > 夕闇は ますます足早に深まり   > 朝日は 今までとは違う輝きを見せる   > それはまるで   > ともに過ごした人が去っていくよう   > こちらを気遣いながら   > でも 切なくなるほど優雅に   >    > そうやって 翼も   > 船の便もないのに   > 私たちの夏は 軽やかにすり抜けて行った   > 美しき彼方へと   日本からのエアメールは、隠したホームシックを優しく包んでくれたものでした。また、外国から届いたものは、居ながらに異国の遠い空へと連れ出してくれるものでした。   大学生の頃、ヨーロッパへ放浪のひとり旅に出た友達から、1週間ごとに旅の記録が送られてきたことがありました。そこには、写真や記憶には残しきれないことが淡々と、紙いっぱいに書かれていました。放浪の旅なので返事を書きようもなく、一方通行の手紙は、空から届く旅の本のようになりました。   恋人ではなく、なぜ私に託すのかと当時は不思議に思いましたが、今なら分かるような気がします。恋は、やがては消えて去る、ひとつの季節ようです。儚い風が吹くことのない誰かに、孤独な旅の歩みを知っていて欲しかったのかもしれません。   今も手紙を保管していることを、照れ屋の友に伝えられずにいます。いつか大人になったら箱ごと渡そうと思っていたのですが、どれほど大人になったら、青い春が残した旅の手紙を、恥ずかしい気持ちにならずに読めるでしょうか……我が身に置き換えては、計り兼ねています。   私たちのもとを去った季節は、今も意外な姿で眠ったまま、   いつか箱のふたが開く、その時を待っているかもしれません。   あなたとの、このやりとりも、   私たちが生きた日々の足跡になってゆくのかなと思いながら、   また手紙を書きます。   あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣   ## 小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて  最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。 「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。 その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。 彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。 2020年 秋 小谷ふみ
09-09-2021
9分
エミリー・ディキンソン「天国はきっとすぐそばに」
あなたへ こんにちは。太陽が直接吹きかけてくるような熱い風が、町を真夏の色に染めてゆくような日々ですね。おかわりありませんか。 我が家の庭では、夏が熟すのと歩調を合わせるように、ホオズキが濃い橙(だいだい)に熟れてきて、夜、暗い庭を眺めると、ぽっぽっと浮き上がって見え、お盆が近いことを感じさせます。 先日、一足早く父とお墓参りに行き、暮らしを共にしていた動物たちが眠る場所へも行きました。昼間でも薄暗い通路を渡り、ずらりと並んだ扉の一つを開けると、時が止まったような愛犬たちの写真が出迎えてくれます。 写真の向こう側から、変わらず愛らしい視線をこちらに向けている犬たち。鼻と胸あたりに迫るものを、黙って感じていると、「おお!元気にしてたか?」と写真を手に取り、歴代七匹の名を一匹、一匹、点呼する父。そして、「またな!がんばれよ!たのむよ!」と片手をあげます。 その声がけに、何か間違っているような、間違ってはいないような……おかしな気持ちになっていると、鼻にツンと迫っていたセンチメンタルも遠のきました。 帰り際、「来る度に、もう会えないんだなって思うね」と呟くと、「秘密の通路があったりして」とぽつり。もう一度振り返ったら見えるかなと、角度を変えて何度も振り返りながら帰ってきました。 これから、父の言葉を思い出しつつ、ホオズキを収穫してお盆の準備をします。 数年前、家族のリクガメが亡くなってから、お盆の行事のようなことをしているのですが、亀が、馬や牛に乗って帰ってくるのはちょっと難しいかなと、ナスやキュウリの代わりに亀の形をした風鈴を玄関にぶらさげています。ゆっくり歩く彼のためにお盆より少しだけ早く、そして道に迷わないように、あるだけのキャンドルを門に灯し、そばにホオズキを置きます。するとホオズキは、ロウソクの光をまとい、橙色の灯篭のようになるのです。 夏の闇にホオズキキャンドルを灯すようになってから、早くにあちら側に行ってしまった友や、会ったことのないご先祖様も、ちょっと立ち寄ってくれるかもしれないと思うようになりました。それからは、あの人の好きだった色の花や、小さなおむすびなども用意しています。 帰ってきた魂は、空洞のホオズキの中に宿ると言われています。 小さな旅館の一室のようなホオズキに「元気だった?」と声をかけながら、私たちはあと何度「迎える側」の夏を過ごすのでしょう。 今日は、夏のたび少しずつ近づいている「秘密の通路」の向こう側、その存在を感じる詩をおくります。 Elysium is as far as to The very nearest Room If in that Room a Friend await Felicity or Doom-- What fortitude the Soul contains That it can so endure The accent of a coming Foot-- The opening of a Door— 天国はきっとすぐそばに 一番近い扉の向こう 誰もが望む歓びか 終わりを告げる哀しみか その部屋のなか 友が待つのなら 魂は挫けることなく じっと待ち受ける 近づいてくる足音を 開きつつある扉を 今年は祖母の新盆でもあります。大往生だった祖母の葬儀は、涙と笑顔のお別れ会でした。帰宅後、疲れてベッドになだれ込むと夢を見ました。 それは、クルクル回る光の輪の夢でした。 光は目を開けていられないほど強く、それでも瞳にグッと力を入れよく見てみると、私たち孫やひ孫たちが、子どもに戻った姿で手をつないで輪になってクルクル回っているのです。 その中にひとり、知らない女の子がいました。 そして、その少女は「おばあちゃんだ」とすぐに分かりました。 光はあまりにも眩しく、顔はよく見えないけれど、それはまちがいなく少女に戻った祖母でした。私はただじっとクルクル回り続ける光の輪を、目が覚めるその瞬間まで見つめていました。 人は、「秘密の通路」を抜けて、 夢と現実のような、あの世へ、この世へ、隣の部屋へ。 それはいつも一方通行のように見えて、きっとクルクル回る光の輪のように。 今年は、ホオズキキャンドルに、祖母の好きだった甘納豆も用意するつもりです。いつか、私の番が来たら、玄米多めのフルーツグラノーラがあると嬉しいです。 当分その予定はありませんが、忘れたころ、手紙にまた書きます。 あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣
04-08-2021
9分
エミリー・ディキンソン「小鳥が小道におりて来た」
あなたへ こんばんは。夕暮れの風の隙間に、蝉の声が交じる季節になりました。おかわりありませんか。蝉の声は夏の目覚めの合図のよう。あの夜の出来事も蝉が鳴き始めたばかりのことでした。 足りないものをコンビニに買いに行った夜のこと、自動ドアの蛍光灯の下に何か黒いものが転がっているのを見つけました。それは、ひっくり返ったカブトムシのメスでした。夏はまだ始まったばかりだというのに、なぜか傷だらけでツヤも悪く、生きることへの諦めの空気を漂わせ、起き上がらせてもじっと動きません。 昆虫や動物を保護することは、彼らの日常に足を踏み入れ、自然の摂理に逆らうことになるのではないかといつも躊躇うのですが、コンクリートの上で命が絶えるのはやはり忍びなく、ひとまず連れて帰ることにしました。家に帰るとすぐにプラスチックの箱に穴を開け、新聞を敷き、餌には……楽しみに取っておいた頂き物の桃を入れ、そして最後に、放心状態のカブトムシを高級桃の上に乗せました。私もその桃、食べたかったんだけどなと羨ましさをこらえて。 翌日も一日中、桃の上で同じ体勢のカブトムシのカブ子。週末にはカブ子を桃ごと土に返しに行こうと、そのままにしておきました。もう元気にはなれなくても、さいごは桃の甘い香りに包まれ安らかに、と願いながら。 「ブーン、ボン!ブーン、ボン!」夜中になんだろう。 小さなプロペラが回る音がする。そして、ぶつかる音がする。音をたどると、カブ子が箱の中をブンブン飛びながら、蓋にガンガン体当たりしていたのです。まる二日間、桃にかぶりつき、元気とガッツを取り戻したカブ子。荒ぶる直径3センチの戦闘機を、朝が来るまで小さな箱に閉じ込めておくことは出来ないと、森へ返しに行くことにしました。 森は、夜もまだ続く蝉しぐれ。肌に触れてきそうなほどに降りそそぐ蝉の羽音が、森の入り口のカーテンのようでした。それは静かな月に照らされて、向こう側へ二本足の生き物が立ち入ることを、少し恐ろしく思わせました。 箱の蓋を開けると、コンビニの蛍光灯では弱々しかったカブ子の背中が、力強く月明かりを受けとめていました。そして、桃にも、私たちにも振り返りもせず、カーテンの向こうへと消えて行きました。 茶色くしおれ残された桃。役目を終え、私の我慢が報われた瞬間でもありました。視線を少し上に向ける。また、ちょっと下に向ける。 それだけのことで、私たちが分け合っている世界に気づくことができる。 今日はそんな、いつもは見えない互いの日常がふいに交わる瞬間を、そっと束ねたような詩をおくります。 A Bird, came down the Walk - He did not know I saw - He bit an Angle Worm in halves And ate the fellow, raw, And then, he drank a Dew From a convenient Grass - And then hopped sidewise to the Wall To let a Beetle pass - He glanced with rapid eyes, That hurried all abroad - They looked like frightened Beads, I thought, He stirred his Velvet Head. - Like one in danger, Cautious, I offered him a Crumb, And he unrolled his feathers, And rowed him softer Home -Than Oars divide the Ocean, Too silver for a seam, Or Butterflies, off Banks of Noon, Leap, plashless as they swim. 小鳥が小道におりて来た 私が見てるのも知らないで 虫を半分にちょんと切り 食べてしまった 生のまま それから そばの草葉から 露をひとくち 塀の方にぴょんとひと跳ね カブトムシに道をゆずった キョロキョロと見渡して あっちこっちを見回して その瞳はまるで怯えたビーズのよう ビロードの頭をかすかに動かして 何か起こるかと身がまえて 私がパンひとかけらをさし出すと 羽根をほどいて 空へと はためかせた 水面(みなも)に跡ものこさずに 銀色の海をゆくオールよりも 午後のほとりをとび立って 音もなく泳ぐ蝶よりも そっと庭のベリーの実を、小鳥が代わる代わるついばみに来るので、試しにひとつ食べてみたら、ふっくらと甘く、想像以上に美味しくて驚きました。そこで、私たちも収穫することに。 上の方に実ったものは小鳥に取っておき、下の実は虫たちへ、真ん中の実だけを自分たちに。庭のベリーを、小鳥と虫とついばみながら、 あなたにも食べさせてあげたいと思いました。 ひとつの木を、ひとつの実を、 そして、ひと夏を分け合って。 近くにいても、離れていても。 あなたのいない夕暮れに。 追伸 今年の夏もまた新たな訪問者が。 玄関を開けたところに、弱々しいクワガタの男の子、クワ氏です。 「あそこに行けばなんとかなる」と近所で評判なのでしょうか。
07-07-2021
9分
エミリー・ディキンソン「私は名もなき隣人 あなたは?」
あなたへ こんにちは。草木がみずみずしく潤う季節になりました。おかわりありませんか。 この季節になるといつも、雨の合間を縫って楽しみに散歩をする場所があります。それは、住宅街の中にポツンとある家一軒ほどの大きさの田んぼです。冬の間は枯れた空き地のようなのですが、梅雨が始まるころ水が引かれ、幼い苗が植えられます。 そしてある時期を境に、夜の田んぼを舞台にした小さなカエルたちの大合唱が始まるのです。 カエルたちは、私が近づくと足音か気配を察知してピタリと鳴き止みます。通り過ぎてしばらくすると、また鳴き始めます。どんなカエルが鳴いているのか、姿を目にとらえたくてそっと近づいてみるのですが、いつも同じところで気づかれてしまいます。青い闇の中で、カエルとの「ダルマさんが転んだ」を繰り返すうち、田んぼ全体が巨大なカエルのように思えてきます。 翌日、昼間に通りかかった時、よく目を凝らして見てみると、青い巨大なカエルは、指先で摘めるほどの小さなカエルでした。 昔、近所の池に大量に発生したおたまじゃくしを捕まえて帰ったことがあります。数日経ったある朝、小さな手足を生やしたおたまじゃくしたちは、カエルと呼ばれるにふさわしい姿になり、蓋をしていなかった水槽から飛び出していました。小さなカエルだらけになった玄関で、半泣きになりながら、一匹、一匹、捕まえ、水槽に入れ、蓋を閉めて池に戻しに行きました。水槽は、おたまじゃくしの時よりも重く感じられ、カエルたちが道路に飛び出さないよう、ぎゅっと力を込めて蓋を押さえた手の痺れを、今も覚えています。 我が家の玄関で変態した記憶を持つ命が池の中で受け継がれ、今、田んぼのカエルの中に、彼らの子孫がいるのではないかと思ったりもします。とはいえ、「あの時のカエルのお孫さん?」などと確かめようもなく、今夜もただ、名もなきカエルの鳴き声を聞いています。 今日は、そんな、名もなきカエルの自問自答のような詩をおくります。 I'm Nobody! Who are you? Are you — Nobody — Too? Then there's a pair of us? Don't tell! they'd advertise — you know! How dreary — to be — Somebody! How public — like a Frog — To tell one's name — the livelong June — To an admiring Bog! 私は名もなき隣人 あなたは? あなたも 同じ? じゃあ これからを ともに? 内緒にね みんなおしゃべりだから 何者かになろうなんて うんざり カエルのように みんなに知られようと 6月のあいだずっと その名を叫び続けるなんて 自分をほめそやしてくれる 沼に向かって 名前の「名」という漢字の由来には、夕刻の暗闇で「あなたは誰?」と尋ねることからきているものがあります。 夜のとばりが降りる中、私を知らない誰かに「あなたは誰?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。自分の名前や肩書きを答えても、闇の中では風の音と同じです。自分が何者か答えられるようになりたい、 誰かになりたい、そう願う時もありますが、未だどれもピンとこないまま生きています。 カエルは鳴き声で、その存在をアピールします。好きな相手を引き付けるため、敵を遠ざけるため、その時々に鳴き声を変えながら。 誰かに自分を見つけて欲しくて、いいね、すてきねと言われたくて、声をあげる。一方で、そのことに辟易して、耳を塞ぎたくなり、口をつぐみたくなりながらも、「私はここにいる」と叫ばずにはいられない。それは、生きものの本能なのかもしれません。 夜の散歩の帰りに寄ったコーヒー店、入り口の棚の上にカエルが一匹ちょこんと座っていました。店員さん曰く「この時間になると現れて、いつの間にか居なくなるんです」。出入りする人はみな、その存在を認めていて、いないと心配になり、いるとほっとするそうです。 当のカエルは、周りがどう思うかなどお構いなしに、自らが選んだ場所に小さく座り、鳴きもせず、心地よさそうに6月の夜風に吹かれていました。 今夜も、自分の内から外から鳴きやまぬ、名もなきカエルの大合唱。 その奥に鎮座する、鳴かないカエルに耳を澄まして。 また手紙を書きます。 「あなたは誰?」と問いながら。 あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣
10-06-2021
9分
エミリー・ディキンソン「真実をありのまま語って でも目を合わせずに」
あなたへ   春の新生活のざわめきも遠ざかり、日常が静かに落ち着いてきました。   おかわりありませんか。木々の緑が日を追うごとに濃くなり、散歩をするのに気持ちのいい朝も多くなりました。最近は、少し荷物になってもカメラを持って歩くようにしています。   今、私の元には、大中小3つのカメラがあります。ひとつは、祖父から受け継いだ古いお爺ちゃんカメラ、もうひとつはコンパクトなデジタルカメラ、そして文字通りおもちゃのようなトイカメラ。棚の上に、黒とシルバー、合わせて3つの相似形が並ぶ様子は、三兄弟のようでとても可愛らしいです。   特に末っ子のトイカメラはネックレスのようにいつも首から下げています。本体は片手のひらに包まれてしまうサイズで、「それで本当に撮れるの?」とみんな驚きます。確かに、小さいだけでなく、よく見るとレンズも歪んでいるし、シャッターボタンを押しても音がしないので、撮れているのか不安になります。 でも、ちょっと残しておきたい瞬間に、小さな付箋を付けるようにカチッとボタンを押しておく。撮られる方も、おもちゃのウインクに構えることなく、ありのままでファインダーに収まります。   後日、パソコンにつないで撮った写真を開いてみると、これが驚くほど……ひどい写りなのです。手ぶれは当たり前、笑顔など横に縦に歪んで、いつどこで撮ったのかも思い出せないような、ちょっと笑ってしまうような写真がたくさん。でも、それがとてもよいのです。いびつになった世界は、妙に安らぎます。   結局のところ、カメラに映るものも、私たちの瞳に映るものも、光りを反射しただけのよく似た虚構に過ぎなくて、真実の形や姿など誰も見ることができないのかもしれません。   それでも、人は真実に近づこうとします。   最近は、携帯電話のカメラの画質も性能も驚くほどよくなりました。でも、鮮明になり過ぎた世界に、少し疲れを感じる時があります。   今日はそんな眩しすぎる真実を見つめる時のヒントになるような詩をおくります。  Tell all the Truth but tell it slant —    Success in Circuit lies    Too bright for our infirm Delight    The Truth's superb surprise        As Lightning to the Children eased    With explanation kind    The Truth must dazzle gradually    Or every man be blind —        真実をありのまま語って でも目を合わせずに    まわり道に そっと横たえて    日々のささやかな悦びには 眩しすぎるから    真実の秘めたる 息をのむような驚きは        子どもたちが稲妻を恐れなくなるように    やさしく説いて    真実はゆっくりと その光りを放つといい    そうでないと みんな目が眩んでしまうから   中学生の頃、遊園地で鏡の迷路に入ったことがありました。そこでは、すべての壁が鏡でできていて、本物の歩ける道と、鏡に映っただけの道を見分けながらゴールを目指します。   最初は友達とはしゃいで歩き回っては、鏡にゴツンゴツンぶつかって、また別の道を歩きまわって……を繰り返していました。そのうち、少しもうまく先に進めないことに疲れ始め、ふと、立ち止まり、鏡の自分を眺めてみました。必要以上に明るく振る舞いがちな自分は、鏡の中でも笑顔でした。でも、鏡を映す鏡のまたその奥を覗きこむと、そこに立っていたのは、ムスッとした見たことのない自分でした。   笑顔と笑顔の鏡の隙間に、本当の姿を見た気がしてドキッとし目を逸らしてしまいました。   ゴールを出る頃に、私だけでなく一緒に入った友達も少し泣きそうになっていたのは、迷路からなかなか出られなかったから、それだけではなかったように思います。   楽しさに混じる、真実に似たものの正体は、しじみの味噌汁に混じった一粒の砂のようでした。   私たちはさいごまで、自分の本当の姿すら自らの目で見ることができないのなら、心に触れてくるものの感触や温度で、その存在を確かめてゆくしかないのですね。   鏡のようなこの世界で、   しじみの砂のような真実ではなく、トイカメラのようなかわいい嘘を、   あなたへの言葉にしのばせて、また手紙を書きます。     あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
08-05-2021
8分
エミリー・ディキンソン「心が踊るのは踏み出すこと」
あなたへ こんにちは。 四季の色が春のピンクから新緑のグリーンに変わりつつあります。新年とはまた違った意味で気持ちが改まる4月の日々、おかわりありませんか。 春は出会いと別れの季節ですね。でも、新しい出会いとはすぐに仲良くなれるわけではなく、私には別れのインパクトの方が強いようです。川に流れる花びらを見送りながら、この胸の奥からなかなか出て行かない切ない気持ちをぼんやり感じて過ごしています。それでも、時間は、私の感情などお構いなしに、前へ、前へと進み続けてゆきます。 川の水面を桜色に染めていた花いかだは、今ごろ大きな海に出た頃でしょうか。 海と言えば、私が最初に就職した会社は、船会社でした。「物は動くことで価値が生まれる」という就職活動中に出会った物流業界の言葉に胸を打たれ、海を越え価値を生み出す仕事に憧れて、希望いっぱいに社会へと漕ぎ出したのでした。 入社してすぐに、巨大なコンテナ船に乗り、船や港湾について学ぶ乗船研修がありました。キラキラ光る果ての見えない海に浮かぶ大きな船は、港から見上げると大海にそびえる高層ビルのようでした。また、何も積まれていない船の底は、覗き込めば深い谷のようで、冷たく暗い空気に吸い込まれそうで足がすくみました。 こんなに巨大な船の底も、大きな海に浮かべてみれば、銀紙一枚ほどの厚さなのだと聞いて、海の、世界の深さと広さに圧倒されたものでした。私たちの暮らしや、誰かの思いを運んでいるのは、大海原に浮かぶ銀紙の小舟なのですね。 今日はそんな、まだ見ぬ景色への憧れと喜びに輝く船出の詩をおくります。 Exultation is the going Of an inland soul to sea, Past the houses—past the headlands— Into deep Eternity— Bred as we, among the mountains, Can the sailor understand The divine intoxication Of the first league out from land? 心が踊るのは踏み出すこと 内なる地で育まれた心が海へと向かう 家々を通り過ぎ—岬を越えて— 深く果てしない旅へと 山に囲まれ育った私たちのように 船に生きる人たちに分かるだろうか 霞む大地をあとに 深き海へ出た瞬間の えも言われぬ高鳴るこの気持ちが 私の社会人としての初めての航海は、うまく行かないことや失敗続きで、会社や社会にというよりも、自分自身にがっかりし、不甲斐なさに打ちのめされることばかりでした。今思い出しても恥ずかしく、苦い思いがします。 「物は動くことで価値が生まれる」その言葉の意味と同じように、泣いたり、がっかりしたり、それでも前を向こうと踏ん張ったり、...踏ん張れなかったり、揺れ動く心そのものが、その人がその人たる所以となる、そう思えるようになったのはつい最近のことです。 何も感じなくなくなったら楽なのにと思うこともありますが、いいことも、よくないことも、「心が動くことで自分になる」ということなのかもしれません。 そうやって、自分を知りながら、世界を知りながら、銀紙の小舟は海をゆきます。ある海でうまくいかなくても大丈夫、海は7つもあるのです。 しかも、その海は結局のところ、ぜんぶ繋がっているのです。バラバラに見えて、よくできたひとつのストーリーだったと思う瞬間は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。 あなたの小舟が、銀色に輝く意志のもとに、風の吹くまま帆の向くままに、心地よい然るべき場所へ、導かれてゆきますように。 近くに浮かぶ小舟から、いつも祈っています。 また手紙を書きます。 あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣
10-04-2021
8分
エミリー・ディキンソン「世界に春が芽吹いたら」
あなたへ   こんにちは。 吹く風に柔らかな春を感じられるようになりました。おかわりありませんか。 まだ寒の戻りもあり、厚手の衣類をしまったり、また引っ張り出したり、身にまとうものも定まらない日々です。 町の桜もまた、冷たい風に膨らみかけたツボミを固くし、ほっとほころべるその時を、じっと待っているようです。 桜が咲きそうなこの時期になると、私には「桜の音」が聴こえます。正確には聴こえるような気がして、木のそばに寄ると耳の奥がむずむずザワザワするのです。 桜は咲く直前になると、あの茶色いゴツゴツとした木の皮や枝から、「桜色の水」が採れるそうです。冬のあいだ、ひっそりと木の幹に蓄えられてきた「桜の水」は、春の日差しや南風を合図にツボミへと向かい、花となって咲くのです。 そして桜は、花びらや葉を散らしてからも「桜」であり続け、次の春に花咲くその時を、全身に「桜の水」を抱きながら待ちわびるのだそうです。 この時期、私に聴こえる「桜の音」は、木の幹を流れる桜色の水が、花びらに向かう音なのかもしれません。 冬のあいだ、すべてが枯れたように見えた木々や草花、姿を消した虫や生き物たちも、幹の奥で、土の底で、静かに春の準備を重ねていたのですね。南風に小さく目覚めても、寒さに引き戻されながらも、やがて芽吹き、花咲き、春にほころんでゆくのだなと感じます。 一方、私は春の光の元に照らされる準備がまだ出来ていません。毎日着込んだ冬着はクタクタになり、肌はカサカサ、髪もボサボサ。コタツの安らぎともお別れしなければならないのかと、冬の眠りから覚めたくないような気持ちにもなります。 南風が吹くだけでは、なかなか起き上がれない心もあります。 今日はそんな、まだ立ち上がれない私たちへの、春の詩をおくります。 "Spring comes on the World - I sight the Aprils - Hueless to me, until thou come As, till the Bee Blossoms stand negative, Touched to Conditions By a Hum -   世界に春が芽吹いたら あらゆる4月の姿が目に映る でも あなたがいないと 私にとっては彩りのない世界 それはまるで ミツバチがやって来るまでは 立ち尽くすだけの花のように その羽音に心ときめかせながら" この心を揺り起こし、コタツの外へ引っ張り出してくれる誰かにとってのミツバチは、ずっと会いたかった友人だったり、新しく始める趣味だったり、枯れた庭に顔を出す新芽だったり。 私には「あの人は元気かな」と思い出すように、春が来るたびに「あの桜は咲いたかな」と心に浮かぶ木があります。それは古いお城の跡地に立つ大きな桜の木で、ある眠れない夜、散歩に出かけた時に出会いました。 その満開の桜は、少し肌寒い、月も星もない夜空の下で、暗闇のなかボウッと浮かび上がって見えました。桜色の炎をつけた、大きなタイマツのように。 誰もいない静かな場所で、いっぱいに広げた枝、その枝の先の先まで、可憐にも力強く花咲く姿。誰が見ていても、見ていなくても、誰のためでもなく、桜は「桜」でした。 毎年、あの古城跡の桜はどんなに豊かな流れを抱いているのだろうかと、耳を澄まし、春を迎える気持ちを高めています。 時に、冷たい風に引き戻されながらも、あなたの新しい季節が立ち上がり、前へと歩みを進めますように。 あの遠くの桜を想うように、あなたにほころぶ春を想い、ここでそっと耳を澄ましています。 あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
07-03-2021
8分
エミリー・ディキンソン「水を喉の渇きが」
あなたへ こんにちは。 節分をまたぎ、暦は冬から春になりましたが、しかめ面の北風はまだまだ健在で、春はどこか遠くで眠ったままのようです。 風邪など引いていませんか。 私は鼻風邪を引きかけましたが、ひどくなる前に引き返すことができました。 鼻や喉、頭やお腹、どこにも痛みや違和感がない、それだけで嬉しくなります。 日々、黙々と、身体は絶妙なバランスを保ちながら機能しているという奇跡を、調子を崩すたびに思い知ります。 そして、いつものご飯の美味しさや、外に出れば空が青いこと、その下を風に吹かれながらスタスタと歩けること、そんなありとあらゆる、日々の「当たり前」を新鮮に、尊く感じます。 でもやがて、その気持ちは、だんだんと、また「当たり前」の日々に埋もれてしまうのですが……。「当たり前」のよろこびは、忘れられやすく、とても儚いものですね。 大きな病気をしてからは、「また忘れてない?」と、チクリつねられるような瞬間があります。 月に一度、眠る病の様子をうかがいに病院に行くのですが、採血室にはいつもなぜかジャズが流れています。ジャズをバックミュージックに、左腕がチクリとすると、身体を巡る赤いものが、針の先から、透明の細いチューブを通り、ゆっくり試験管へと運ばれてゆきます。 このチューブが腕に触れると、それはとても温かいのです。 こんなに温かいものが、私に、あなたに、巡っているのだということに、いつも驚いてしまいます。 最近では、「パブロフの犬」のように、ジャズを聴くと「痛み」と「ぬくもり」の記憶が、身体の奥に湧き上がります。 私のジャズの聖地が、ニューオリンズでもブルーノートでもなく、病院の採血室なのはヒミツです。 今日は、そんな「痛み」を知る「ぬくもり」の詩をおくります。 Water, is taught by thirst. Land — by the Oceans passed. Transport — by throe — Peace — by its battles told — Love, by Memorial Mold — Birds, by the Snow. 水を 喉の渇きが 大地を 渡ってきた海が 喜びを 苦しみが 平和を 戦いの物語が 愛を 思い出の輪郭が 小鳥を 雪が伝えてくれる 北風の隙間からふわふわと舞っていた雪が本降りになり、今朝、起きたら町が一面、雪に包まれていました。 近所の小学校でチャイムが鳴り、聞こえてきたいつもとは違う子どもたちの歓声に、ハッとしました。その声がまるで、雪の中を飛び立つ小鳥のようで。 真っ白なスクリーンのようになった校庭に駆け出し、はしゃぐ子どもたちの声に、何か気づいていないことや、忘れてしまっていることがあるような気がして、すぐに溶けてしまう雪のひとひらを手にするように、その儚い気配を追いかけてしまいます。 楽しかったことや、ぬくもりは、柔らかな雪のように手のひらからすぐ消えてしまうのに、悲しみや痛みの記憶は人の心に深く積もりがちです。 明日、目が覚めたら、あなたに積もった辛いことや悲しいことが、雪と一緒に溶けてなくなっていますように。 あなたに、やがてやさしい春が目を覚ますように祈っています。 ここで、ジャズを聴きながら。 あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ 朗読:天野さえか 絵:黒坂麻衣
12-02-2021
7分
エミリー・ディキンソン「降り積もる歳月は」
あなたへ こんにちは。新たな年を迎えた鐘の音も遠くなり、日常の鼓動が戻ってきました。寒さも一段と深まりましたが、いかがお過ごしですか。 年賀状や寒中見舞いのやり取りがひと段落すると、私のお正月気分もようやく終わります。数年前までは、年賀状をその年ごと輪ゴムでまとめていたのですが、今は下さった方ごと小さなファイルに収めています。 旅する景色の写真ばかりだった大学時代の友人が、ある年、伴侶を得て、景色に彼らも映るようになりました。毎年の年賀状を続けて見ると、ひとりがふたりになった旅の写真集のようになります。 また、5人家族の恩師の年賀状では、「独立しました」とサッカー少年だった長男次男が次々と年賀状からいなくなり、数年経つと長女も思春期を迎え、写真に写らなくなりました。そして去年は「もう写りたくない」と奥様も……。「とうとう一人になりました」の直筆メッセージとともに、ひとり照れた笑顔が届きました。今年が心配です。 途切れながら何年も続いている年賀状には、選りすぐりの場面や、やがて来る「人生の少し先」があります。ファイルをする時はいつも、新たな便りを重ねられる嬉しさを感じます。 一方で、「あの人からの便りはもう来ない」ということにふと気がつき、続くことのない現実に痛みを感じます。遠ざかっていたかなしみが流れ込んできて、 塩キャンディを口にしたような気持ちになります。これから先、出会いの数だけ味わってゆきますが、それを含めファイルが厚さを増してゆくことを愛しく思います。 今日はそんな、歳月の積み重ねと、その向こうにいる誰かの存在を感じたくなる詩をおくります。 The Pile of Years is not so high As when you came before But it is rising every Day From recollection's Floor And while by standing on my Heart I still can reach the top Efface the mountain with your face And catch me ere I drop 降り積もる歳月は あなたと最後に会ってから それほど高くなってはいない でも横たわる記憶の上に積もりながら 日を追うごとに高さを増してゆく この心を足がかりにして 伸ばした手が一番上に届くうちに あなたが顔を見せてくれたなら 積みあがった歳月は消えてなくなるから ここから足を滑らす前に 私をどうか受けとめて 私たちが重ねる歳月は様々なものに姿を変えて、こうしている今も積みあがっているのですね。 それは、途切れ途切れの年賀状や、整理のつかない写真や秘密の日記、描きかけの絵、読みかけのままの本、思い出せないメモや、捨ててしまった手紙にさえも。 私たちの暮らしの中に、降りそそぐ雪のように、ゆっくりと深く積もってゆきます。 いつの日か、歳月が宿るものすべてを消し去る時が来たら、その中のたったひとつを、この世界に残せたらいいなと思っています。 ディキンソンがこの世を去る時に、書簡は処分して欲しいと願ったように、 そして、箱の中に大切に残した詩が、今もこの世界に咲き続けているように。 そんな、忘れて欲しいこと、忘れたくないこと、その狭間で揺れながら、 またあなたの元に文を重ねます。 あなたのいない夕暮れに。 追伸 恩師から遅れて寒中見舞いが届きました。 今年からは、小さな柴犬の成長の様子が届くようです。 ひとつの写真集が完結し、新たなアルバムのはじまりです。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
03-01-2021
7分
エミリー・ディキンソン「『希望』は柔らかな羽をまとって」
あなたへ こんにちは。街のイルミネーションに足をとめ、白い息を深く吐きながら、新しい年へ歩みを進める時期になりました。冬らしい冷たい風吹く日が続きますが、おかわりありませんか。 私の町に流れる川で暮らす鳥たちも、カモやカワウなど冬の鳥が主役になりました。凍りそうで凍らず流れる川をスイスイ泳ぐ鳥たちを眺めていると、バトンタッチし去っていったツバメたちのことが気になりだします。 川の近くには、家族が勝手に名付けた「ツバメ商店街」なる場所があります。春になると、和菓子屋さんや、畳屋さん、床屋さん、それぞれの軒にツバメが巣を作ります。そして初夏の明け方には、人の数よりも多いツバメたちが商店街を飛び出し、川で飛ぶ練習を始め、やがて秋風とともに南へ旅立ちます。 それからしばらく経ったこの時期になると、商店街の空っぽの巣を眺めては、彼らの無事を思い、遠くの空に思いを馳せます。拙い飛び方だったあの子たちは、北風から逃れ、もうひとつの故郷で南風をつかまえられただろうかと。 春夏秋冬を通じて、ずっと我が家に居てくれる小鳥を迎えたくなる時もあるのですが、「私たちはこの『世界』という大きな同じ鳥かごの中で暮らしているんだ」そう思うと、季節にうつろう川沿いの草花を愛でるように、川を訪れる鳥たちの四季をたのしむのもいいなと思うのです。でも、この鳥かごは大きすぎて、冬の向こう側へ渡った小鳥たちの様子を見られません。そのことだけが残念です。 「鳥たちよ、冷たい風にも元気で。激しい嵐にもどうか無事で。 また、春に会えるのをここで待っています」 そう祈り、願う心を、小さくても「希望」と呼ぶのでしょうか。 今日はそんな「希望」を小鳥になぞらえた詩をおくります。 “Hope” is the thing with feathers - That perches in the soul - And sings the tune without the words - And never stops - at all - And sweetest - in the Gale - is heard - And sore must be the storm - That could abash the little Bird That kept so many warm - I’ve heard it in the chillest land - And on the strangest Sea - Yet - never - in Extremity, It asked a crumb - of me. 「希望」は柔らかな羽をまとって 心の奥にやどり 言葉なき心の調べを やすみなく さえずり続ける 強い風にこそ その声は優しく響き 痛みをもたらすほどの嵐に 怯んでしまうことがあっても 小さな鳥は 多くをあたためてきた 私はその声を聞いたことがある 地平線だけが広がる凍える地で 水平線だけが続く果てなき海で でも どんなに耐えがたい時にあっても パンのひとかけすらも 私に求めたりせずに この手紙を書いている間に、ちょっと嬉しい知らせがありました。 南国の華やぐ年末行事を報じるテレビ番組に、通りをビュンビュン飛び交うツバメたちが映り込んでいました。 商店街で暮らしていた私たちのツバメもこの中にいるのかもしれないと、今は遠くで暮らす知り合いが、通行人としてふいに画面に映り込んだような気持ちになりました。思いがけなく元気な姿を目にして、画面がじんわりと涙でくもりました。 この大きな鳥かごも、時に便利で悪くないですね。 あなたの心の小鳥が、冷たい風にあおられ、 迷い傷ついたりしながらも、どうか無事で、元気で、 その胸の奥で、あなたの歌をうたい続けますように。 新しい年も、そう願いながらまた手紙を書きます。 あなたのいない夕暮れに。
04-12-2020
8分
エミリー・ディキンソン「100 年の月日が流れたら」
あなたへ   こんにちは。今年の後ろ姿が少し見えてきましたが、「いや、まだ行かないで」と今年の袖を強く掴みたい毎日です。おかわりありませんか。   実は、あなたといつか一緒に行こうと話していたあの喫茶店が、久しぶりに行ってみたらなくなっていて…静かで鈍いショックから立ち直れずにいます。   空っぽになった店のドアに貼られた「閉店します」の張り紙には、常連さんたちの書き込みが沢山ありました。これまで何度も「最後と分かっていたら何と声をかけただろう」という思いをしてきたのに、私はまたその言葉を見つけることができませんでした。   最近、ちょっとした失敗や、うまくいかないことが続いています。あの喫茶店はそんな時に、こっそり心を整える場所だったので、これからはどうすればいいんだろうと戸惑っています。 あなたとも、いろいろ落ち着いたらあの店でなんて言いながら、ずっと先延ばしにしていたことを後悔しています。自分も、世界も、きっと何もかもが落ち着く日なんて来ないから、会いたくて会える人、行きたくて行ける場所には、降る雨の隙間をぬうように会いに行きたいと思いました。   何もかも落ち着かないまま、いつか、みんな、終わってしまうから。   そんな実感はなかなか持てないけれど、よいことも、よくないことも、…よくも悪くもないことも、その全てにいつかは終わりが来るということに、少しホッとしたい夜もあります。   それは、「ここではないどこかへ」行ってしまいたい夜。   今日は、そんな「どこか」へ連れて行ってくれる詩をおくります。    After a hundred years    Nobody knows the place,--    Agony that enacted there,    Motionless as peace.        Weeds triumphant ranged,    Strangers strolled and spelled    At the lone orthography    Of the elder dead.        Winds of summer fields    Recollect the way,--    Instinct picking up the key    Dropped by memory.        100年の月日が流れたら    ここで苦しみを抱え    立ち尽くしたことなど    もう誰も知らない    静けさだけが穏やかに佇んでいる        時は緑におおわれて    出会うことのない人々が行き交い    かつて生きた誰かの    石に刻まれた    ひそやかな跡をなぞるだけ        草原をゆく風が    この道を振り返り    ふいにひらめき    手にするだろう    思い出せずにいる    大切な何かを   --- この詩が書かれてからまさに100年の月日が流れた時を、今、こうして生きているんだと思うと、遥か遠くから投げられたボールを、うまくキャッチできたような気持ちになります。   人は過去から何かを受け取ると、今をより濃く感じ、少し前を向くことができるみたいです。100年前も、そして100年後も、私たちはいなくて。結局、私たちには「今」を知ることしかできないのだと。   あの喫茶店はなくなってしまったけれど、100年の月日を遠く思い、果てながら続いてゆく今を感じていたら、ちょっと元気になってきました。   あなたにも伝わるといいなと願いながら、また手紙を書きます。   あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
10-11-2020
7分
エミリー・ディキンソン「宝ものをにぎりしめて」
あなたへ   こんにちは。秋と冬がすれ違うかすかな風を、スカートの裾に感じる季節になってきました。おかわりありませんか。   季節の変わり目は、頭痛がする日があるのですが、その引き金となる失くし物をしてしまって、ちょっと困っています。眼鏡です。手元を見る時だけにかけるので、ちょっとどこかに置いたまま忘れてしまうことがしばしばで。   何かを失くすたび、これまで失くしてきたものたちのことも思い出しては、「ああ、あれは結局どこに行ってしまったんだろう」と、ちょっと胸がチクリとします。 失くしものは、日用品だったり、思い出の品だったり。物じゃないないものもあります。   それは、途切れてしまったあの頃の夢や、あの時の目標や。大好きだったあの人との時間や。 それから、自分の誕生日を迎えるあのワクワク感もどこに行ってしまったんだろうと思いましたが、それは失いながら別の感情が引き出されて来ました。   失くしものにも「その先」があるのですね。   失くしたものは、今もどこかにあって、遠くからこちらを見つめている。そんな風に感じることがあります。   「いま、君から何が見えますか?」   私から離れていったものたちから、私はどんな風に見えているんだろう。失くしたものから見える景色を手繰り寄せたら、再び巡り会えるような気もして。 そんな後ろ髪を引かれながらも、今日は「失くしたものが残すもの」が、愛しくなるような詩をおくります。   I held a Jewel in my fingers —   And went to sleep —   The day was warm, and winds were prosy —   I said "'Twill keep" —        I woke — and chid my honest fingers,    The Gem was gone —    And now, an Amethyst remembrance    Is all I own —        宝ものをにぎりしめて    眠りについた    その日はあたたかく    吹く風はいつもと変わらなかった   「ずっとこのままで」そう思っていたのに        目が覚めたら    宝ものはどこかに消えていた    嘘のつけないこの指を責めたくなる    そして今、アメジストの透き通る記憶が    この手のひらに残されたすべて   私たちは、時間や若さや、あらゆるものを失い続け、その記憶にすっと背中を支えられ、そっと押されるように、生きていゆくのですね。   私の失くしものは頭が痛いですが、いつかあなたが失くしたものが、あなたを見守ってくれていますように。遠くで、いつも祈っています。   あなたのいない夕暮れに。 文:小谷ふみ   朗読:天野さえか   絵:黒坂麻衣
06-10-2020
6分
エミリー・ディキンソン「草葉はそこに佇むだけで」
あなたへ こんにちは。夏の入道雲を見送り、迎えた秋の高い空にやっとひと息つけるころになりまし た。おかわりありませんか。 雨上がりの今日は、午前中に久しぶりの庭仕事をしたのですが、長い梅雨、そして暑い日々 を乗り越えて、草木も少しホッとしているように感じました。 午後から買い物や図書館に行くつもりだったのに、思いのほか草抜きに時間と体力を奪われ てしまい、ひとやすみしながら、土の匂いが立ちこめる庭で手紙を書いています。 土と同じ目線になってみたら、3ミリくらいのバッタの赤ちゃんや、5ミリくらいの小型の ゲジゲジ虫、地球の素肌に生まれ育つ、幼い生きものたちに出会いました。 私たちもミリの大きさから始まって、細胞分裂を繰り返し、この大きさになってきたわけで すが、ここまで大きく、そして増えてしまう間に、ちょっと複雑になりすぎてしまいました ね。 土から目線を上げてみれば、そこに佇む木や花たちは、自分の命を育む分だけの光や水を求 め、周りの生きものと支え合って生きていて。 コンクリートの上では、「生きるためだけに、生きる」ただそれだけのことが、どんなに難 しいことかとため息が出ます。 今日は、そんな私たちの目線を、道路脇にふと逸らしてくれるようなエミリー・ディキンソ ンの英語の詩に、私なりの言葉を添えておくります。 The Grass so little has to do̶ A Sphere of simple Green̶ With only Butterflies to brood, And Bees, to entertain̶ And stir all day to pretty tunes The Breezes fetch along, And hold the Sunshine, in its lap And bow to everything, And thread the Dews, all night, like Pearl, And make itself so fine A Duchess were too common For such a noticing, And even when it die, to pass In Odors so divine̶ As lowly spices, laid to sleep̶ Or Spikenards perishing̶ And then to dwell in Sovereign Barns, And dream the Days away, The Grass so little has to do, I wish I were a Hay̶ 草葉はそこに佇むだけで 飾り気のない緑の広がりに 蝶は我が子をあたため ミツバチは遊ぶ そよ風が運ぶ優しいメロディに 一日中揺られながら ふところに日だまりを抱き あらゆることに深く頷いて そして 一晩中、真珠のような夜露をつなぎ 首飾りにして身にまとうから どんな華やかに着飾った者も霞んでしまう やがて生涯を終える時も 自らの命の匂いに包まれながら 味を失うスパイスのように 香り消えゆくハーブのように横たわる それから雨風しのげる囲いの中で 夢うつつの日々を過ごすだけ 草葉はそこに佇むだけで 私は次の扉が開くのを待ちながら 横たわるだけの草になれたらいいのに 昼を過ぎてから、風が少し強くなってきました。 今日は、自宅から外に出ることなく、庭の草木の気持ちになりながら、親しい友人に手紙を 書き、詩をひっそりと残す。まさに、ディキンソンの世界そのもののような午後を過ごしま した。 自分自身を生きるのにちょっと疲れた時、誰かのように過ごしてみるのもいいなと思いまし た。 草木の香りを抱いた安らかな風が、あなたの住む町に吹きますように。 願いを込めて、また手紙を書きます。 あなたのいない夕暮れに。
09-09-2020
7分

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