074.手放す事、諦める事

こころメンテナンス

13-06-2022 • 12分


似てるようで似てない、未練があって諦めるのか、未練を断ち切って手放すのか、両方とも行動は同じようにみえるかもしれませんが中身は大きな違いがあるようです。 感想、ご質問はこちらにお願いします! https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7 YouTube: https://www.youtube.com/c/kokoro-me Web: https://m-e-science.com/ ◆文字起こしはこちら https://kokoro.koelab.net/074/ ================== 三上:皆さん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、 吉村:吉村竜児です。 三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。 吉村:よろしくお願いします。 三上:今日のテーマは、似てるようで似てないです。手放すこと、諦めの違いについて取り上げていこうかなと思うんですが、若干似てるかなって思うんですけど、例えばですよ、「夢を諦めなければ夢はかなう」なんて聞いたりすると思うんですけど。 吉村:はいはい。 三上:いやあ、それはみんながみんなではないと思う感じも、私はするんですよね。 吉村:はいはい、なるほど。 三上:なので、時には手放すことも大切なのかなって感じたりしますが、この言葉、違いについて吉村さんはどう思いますか。似てるようで似てない気がしますが、私は。 吉村:なるほどですね。言葉の部分だけ捉えて言ったら、言葉遊び的なものみたいな要素もあると思うんですよ。だから、諦めるっていうことを「いい意味で諦めます」とかって言ったら、何となく手放すって言ってるのと同じニュアンスになったりすると思うんですよ。だから、表面的な言葉の選び方っていうのが問題なんじゃなくて、要は未練があるのにそこから離れるみたいな状態のことを捉えて、人はよく「諦める」とか、悪い意味でのほうの「諦め」っていう言葉を使ってるんじゃないかなって思うんですよね。 三上:うーん。 吉村:だから、そこに未練があるかどうかっていうところで、実は結構意味合いがだいぶ変わっちゃうと思うんですよ。要は、最初やろうと思っていたことがありました、それをやり遂げない段階でやめるって選択をしましたっていうところでは、あんまり変わってないと思うんですよ。表面的な行動だけを見た場合、やってることは多分一緒なんですけど、だけどそこで未練がある状態で「これこれこうでこうだったから仕方なかったんだ」みたいな感じで諦めましたってなると、「あの時あれさえなければ」みたいなのをその先もずっと持ち続けて「自分はあの時けがさえしてなかったらオリンピックに出られていたはずなんだ」って言いながら、それを結局諦めた人として生きていくみたいな構図ができるわけですよね。 三上:なるほどね。 吉村:でも、これを未練がない状態。「なるほど。ここであの時ああやって体が故障したっていうのは、自分はこっちの道じゃないんだってことを多分天が教えてくれたんだろうな」みたいなね。「結局自分は違う選択をしたけど、今この選択にすごい満足しているし、結果的に自分はこれですごい幸せだから、むしろあの時けがしたのは本当に自分にとってはギフトだったな」みたいな捉え方になっていたら、それっていわゆる手放したっていう状態。言葉で話していることって、多分そういうことだと思うんですよね。 三上:うーん、なるほどですね。恋愛に関してもそうですもんね(笑)。 吉村:(笑)そうですね。だから要は未練があるかどうかってところの違いなんじゃないかなっていう感じはしますよね、諦めなのか手放してるのかっていうところ。 三上:はい、なるほど。じゃあ、例えば恋愛で「あの人のこと好きだけど、未練はあるけど諦めるか」って思うのか、「あの人が幸せになって、僕は手放して相手の愛も応援しよう」って思うのか。なんか似てるようだけど、やっぱり気持ちの持ちようが違いますね。 吉村:そうなんですよ。だから、表面的にやってることは一緒だとしても、気持ちの違いですよね。気の持ちようで、実はその人の内的なエネルギーが全然違う。 三上:違いますね。 吉村:変わってくるわけですよね。そうすると、その人が発しているエネルギーが違うので、おのずとその人が引き寄せる現実っていうのは、その人が発しているエネルギーが反射して返ってきているものが、その人が引き寄せている現実っていうふうに言うことができるわけですよね。だから、そうすると、その時にはやってることは同じように見えるけど、その後の展開が変わってくるわけですよ。 三上:うーん。 吉村:その人が本当に未練とかも特になく、「あ、これでいいんだ」って言って手放すことができたら、手放して空いたスペースにまた別の形で何か入ってくるから、恋愛とかでも、気持ちよく手放したら次の恋愛のチャンスとか巡ってくるわけですよ。だけど、これが未練がすごいあって、未練たらたらの状態で諦め「自分はどうせ駄目だから」とか、そんなような変な言い訳をして、とりあえずそこを形の上で手放しましたってやったとしても、多分そこに結局残っちゃってるから、その人の未練がね。だからそこの空きスペースができないから、次のチャンスが巡ってきにくいわけですよね。 三上:ああ、なるほどですね。未練を断ち切れない方っていうのもやっぱりいらっしゃると思うんですよ。これ、どういうふうに変えていったらいいんですかね。ご自身の内面的なものになると思うんですけど。 吉村:うんうん、そうですね。それが恋愛なのか、仕事とかスポーツとか夢的なものなのかっていう違いがあるのかどうかって、ちょっと何とも言えないんですけど。多分共通しているでしょうね。要は自分自身の中にある満たされない気持ちだったりとか、自分の中のちょっと足りていないところを「自分はこの人と付き合っていることで幸せなんだ」みたいな感じの、自分の心の穴の埋め方をしようとしている。自分がこのスポーツで一番だから、自分はOKなんだとかすごいんだとかっていうような、自分のセルフイメージが何らかの理由で下がっている。セルフイメージを下げている要因を持ったまま、そこに下がった分を何か上乗せすることで穴埋めをしようとしているみたいな状態の時っていうのは、多分何かがないと結局自分の心には穴が開いたままの状態になっちゃうので、それがいわゆる未練が断ち切れないっていうことにつながるんだと思うんですよ。結局何かがないと自分は足りないっていう、不完全だっていうような無意識の思い込みを持っているから、その不完全さを何か別の外的な何かで埋めようとしているわけですよね。 三上:なるほどですね。 吉村:ここはね、別にそんなもの要らなくて、ありのままの自分で、もうこれでOKなんですってなれば、別にそこに入ってくるものって何でもいいって話になるわけですよね。むしろ自分が外から愛してもらおうとするんじゃなくて、自分が周りに愛を分け与えることができるような存在になれば、むしろそっちのほうが人は集まってきてくれるわけですよ。「あの人すてきだな」ってなるので。そうすると、例えば周りの人たちから評価されるっていう現実がそれによって結果として手に入るわけですよね。それは、自分で自分のことをちゃんと大事にしているっていうことがあるから、結果的に周りからも評価されるっていうことが起きるわけですよね。これが、自分で自分を評価できていない状態、自分で自分を愛せていない状態で、その穴を埋めるために外側から愛してもらおう、評価してもらおう、ちやほやしてもらおうみたいな話になると、要は”クレクレ状態”になるわけですよね。 三上:なるほどですね。分かりやすい。 吉村:そういう人って、何となく重たい感じがしたりとか、押しつけがましい感じがするので、人はちょっとあんまり近寄りたくないなって思うわけですよね。むしろ、そういう人を食い物にして自分の穴を埋めようとしてるような人たちに目を付けられちゃうみたいなことが起きたりするので、それこそDV、モラハラとかマウント合戦みたいな人間関係の中にはまっていっちゃったりするわけですよね。 三上:うーん、なるほど。やっぱり自分自身を満たすこと。そして思うのは、よく聞くんですけど「手放すことも愛だよ」って聞いたりしたことがあったんですけど、今日「あ、なるほどな」っていうふうに感じながら今。 吉村:そうですね。だから、自分自身を自分自身の愛で満たしていくってことが大事なんですよね。それができれば、結果的には周りからも愛されているって構図が生まれるわけですよ。そこが、自分を自分で満たせてない人が外からそれを見たときに「あの人ばっかりちやほやされていてうらやましい、ずるい」とかって見えたりするんですけど、その人たちは別に周りの人たちにちやほやされようとして何かやっているんじゃなくて、自分で自分を満たすことができているから、周りに満たした自分の愛を分け与えることができている。自分の光で輝いてるから、周りの人たちをそれによって照らすことができているから、人が集まってきているっていうだけであって、自分が自分で光を発することができてないから、「私のこと照らして、照らして」って言ってるんだけど、自分は真っ黒で光を吸収してばっかりみたいな感じになっちゃ...