100.映画「侍タイムスリッパー」(2024年)時を越えたこの映画と、侍のような孤独な語り

映画のお話

28-10-2024 • 19分

気づけばこの配信も100回目。ようやくこの数字に到達したわけですが、まぁ、他にもゲスト呼んだり、いろんな特別企画を挟んでいるので、実際の配信回数はとっくに100を超えています。でも「ただ一人で映画を語る」という枠の中で迎える100回目というのは、何とも言えない気持ちになりますね。


そもそもこの配信、何で始めたかといえば、一人で映画についてしゃべり続けることで、自分の表現力や伝え方を磨きたいと思ったからです。仕事に活かせればいいかなーなんて期待もあったわけです。まぁ、趣味と実益を兼ねて、筋トレならぬ“公開しゃべりトレーニング”って感じで。しかしですね、こうやって続けていくと気づきます、これはなかなか弊害があるなと。一人でしゃべり続けるのって思ってたよりも性質が悪い。


最初はいいんですよ、「面白く話さなきゃ」とか「分かりやすく伝えよう」なんて、意識して工夫もしてるから。でも回数が重なると、無駄に話が長くなるんですね。配信だから、どうせなら聞きごたえをと引き延ばしたり、妙にテンポを崩したりしているうちに、回りくどくなるクセが染みついちゃう。仕事の会話なんかでも「あれ、自分だけが気持ちよくしゃべってない?」って気づくことが増えてしまって、完全に本末転倒です。ほんと良くない、独りよがりな筋肉がついてしまった。


まぁそんなこんなで、今回100回を節目にやめようかなと頭をよぎりつつ、でもやっぱり続けたい気もするんですよ。


話題が変わりますが、最近、tiktokでサザエさんのパロディなんかもやってみて、これが少しバズりまして。生成AIを駆使してクレイアニメで、サザエさんを描いてみたわけです。そしたら通知が鳴りやまなくて、まぁいわゆるバズったわけなんですよ。


さて、そんなわけで今回語る映画は、映画でバズっている『侍タイムスリッパー』。この作品、じわじわ話題を集めていて、地元の映画館でも上映が始まったので観に行きました。感想としては、率直にいうと、私には少しピンとこなかったんです。映画館には年配の方が多くて、観客の笑いもどこか懐かしさに満ちているような空気がありました。50~60代以上には強烈に響くんだろうなぁ、そんな印象です。


この作品は、往年の日本映画のテイストを多分に含んでいるのですが、ギャグや小ネタが妙にこっ恥ずかしいというか、そういうノリなんです。ベタな笑いも多いし、いわゆる「昭和の時代劇の美学」を大事にしている感じ。懐かしさも込めて観た年配の方にはウケているのでしょうが、若者がこれに「懐かしい」と感じるのかは疑問ですね。これが実際にヒットしているのは、きっと年配の、時代劇が好きで、過去の日本映画に愛着がある層に支えられているからでしょう。そもそも、こういった年配向けの邦画って、今ではすっかり減ってしまいましたからね。


それでも、私の中で一番印象に残ったのは、監督の映画にかける情熱です。自主制作でありながら、私財を投じて約2000万円、全製作費2600万という額で撮り上げたと聞いて、心にくるものがありました。車両から撮影、演技指導に至るまで一人で切り盛りして、主演女優は助監督までしているという低予算の苦労。ここに、日本映画の“インディペンデント魂”みたいなものを感じます。何よりも、時代劇という過去の美学を今一度生き返らせようとするこの情熱は、映画ファンとしては尊敬せずにはいられません。


作品の内容も決して悪いわけではなく、実際、映画館を出た後もじわじわと“良さ”が残っているんです。時代を超えて、未来から現代に迷い込んだサムライが、日常に溶け込んでいく過程は面白かった。ただ、タイムスリップのギミックが活かしきれていないと感じたのも事実で、過去と現代が交わるような熱い展開や、登場人物同士の絆がもっと描かれていれば、さらに面白かったかもしれません。とはいえ、私が感じた不満すら、年配の観客の拍手喝采を見ていると少し違うのかなと思わせるんですよね。


要するに、これって「昭和の日本」を愛している人たちのための作品なんだろうなと。そして、昔の時代劇の精神を今に伝えようとする気概も感じられます。私にとってはちょっとピンと来ないギャグでも、その古き良き「日本映画のコメディ」として評価する声が多いのも納得。いや、だから、やっぱり映画ってのは奥が深いですね。監督の想いにただただ感嘆しつつ、これが今の日本でこうして受け入れられているのかと思うと、なんとも複雑な気持ちです。


最後まで観たことで、自分なりに“時代劇”への見方が少し変わった気もするし、この100回目に選んだ映画としては、ある意味ふさわしい作品だったのかもしれません。さて、こんな感じでまたしても無駄に長い話になってしまいましたが、これもまた100回続けたからこそ得た“回りくどさ”かもしれませんね。次回はもう少しコンパクトにまとめていければと思いつつ、まぁまた100回続けたらどんな話になるんだろうと、そんなことをふと思ってしまいました。